「鏡の中の手、私のじゃない…」 映画『鏡の中へ』

 『鏡の中へ』(14日公開)は荒削りだが底力のある映画だ。この映画の演出は小技が足りないが、鏡という核心のモチーフを掌中に収めながら、最後まで突き進む力を見せてくれる。

 イメージとナレーティブの間でさまよい、亀裂を生じることの多い忠武路(チュンムロ/韓国映画の中心地)のホラー映画の中で、『鏡の中へ』の成果は少なくない。

 火災事件後の再開店を控えた百貨店で連続殺人事件が発生する。自分のミスで同僚を死なせた元刑事のヨンミン(劉智泰(ユ・ジテ)扮す)は、この百貨店の警備責任者で、事件を解決することができずに苦境に立たされる。捜査を指揮するかつての同僚、ヒョンス(金ミョンミン)と対立するヨンミンは、事件現場を徘徊する謎の女(金ヘナ)をマークする。

 オーソン・ウェルズが『上海から来た女』で証明したように、鏡の豊かなイメージは極めて映画的だ。金ソンホ監督は百貨店のショーウインドーの大型の鏡から化粧品の小さな鏡まで、さまざまな鏡を登場させ、奇怪な風景を演出することに力を注いだ。

 「鏡を見ていない時、鏡の中の自分が鏡の外の自分を見ていないか」と、誰もが一度は想像する風景が、映画の中で身の毛がよだつほど鮮やかなイメージで再現されている。鏡をモチーフにした過去の名作のように、自我の分裂を豊かノ扱えておらず惜しまれるが、鏡の内と外の世界がストーリーと絶妙に絡み合い、ユニークな対比がなされている。

 この映画は鏡に手をついた時、鏡の中に映った手が飛び出てきて自分の手をへし折るシーンなど、鏡を媒介にした殺人シーンのアイディアが際立っている。

 ヤン・ファン・エイクの『アルノルフィニ夫妻の結婚』やエドワード・バーン・ジョーンズの『恐怖の頭』から、サインを逆にしたというレオナルド・ダ・ヴィンチのエピソードまで、多くのエピソードや絵画の数々が、映画の重要な下図的役割を果たす。

 ただ、この映画は臨場感を著しく損なういくつかの人為的なシーンによって、劇中の状況に入り込んでも跳ね除けられるような印象も同時に抱かせる。

 悪役はあまりにも印象の薄いキャラクターで共感を得られず、一部の脇役や端役は演技力不足で作品に傷をつけている。クライマックスの格闘シーンのシーケンスもお粗末だ。

 しかし、この映画の前半は『スクリーム』を連想させるほどに印象的で、最後の反転は、映画が終わったと思わせた観客の後頭部を強打する。これほどまでに最初と最後で観る側を圧倒するホラー映画に出会うのはそう簡単ではない。

李東振(イ・ドンジン)記者
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