監督がスターになれるだろうか。通念に基づいたこうした疑竄ヘ、金知雲(キム・ジウン)監督を思い浮かべた瞬間、一気に消える。
金監督はデビュー作『クワイエット・ファミリー』で、新しく類まれな才能を発揮し、『反則王』でペーソスとアイロニーに溢れたコメディの真髄を見せてくれた。その後、デジタル短編映画『カミングアウト』でインターネット映画ブームを巻き起こし、短編映画『メモリーズ』の演出で、中国とタイの短編作品と合わせたホラー映画3部作『スリー』で注目された。
そして新作『薔花、紅蓮』は、公開11日目の23日にも全国観客動員数200万人を突破することが確実で、大成功を収めている。古典『薔花紅蓮伝』を現代的にアレンジしたこの作品は、継母と住むことになった二人の姉妹の悲劇を扱ったホラー映画だ。
「公開されてから本当に驚きました。撮影中、ホラー映画にしてはあまり怖くないと思っていましたが、観客の反応は『物凄く恐ろしい、悲しい、映像がきれいだ』という声が多いですね」
いつものように目深にかぶった帽子の上にサングラスをのせた金監督は、スタイリッシュなファッション感覚とは違って「観客のトレンドには鋭敏でない」としながら「自分が観たい映画を作るだけ」と答えた。
『薔花、紅蓮』の大衆的魅力はどこにあるのか。恐らくそれは両立の難しい数々の要素を同時に内包した点だろう。不気味ながらも美しく、悲しい感じがするという点だ。
監督は『ハムレット』の一場面を素材にした英国の画家ミレーの『オフィーリア』からインスピレーションを得たという。
「古風な服を着て水に溺れて死ぬオフィーリアの絵が、とても恐ろしいのですが官能的でもありました。刀で突かれた女性が倒れる瞬間、スカートが花のように開いたヒッチコック映画の一場面から受けた感覚と共通していました」
この映画はスタイルとイメージに対する秀逸な統一性で、弾みを増した。「この映画の核となるイメージは花だった」と言う監督は「咲く時の美しさと散る時の切なさの二つが、悲劇的な状況に置かれた少女たちを象徴する」と説明する。
しかし、映画館街での爆発的な反応とは異なり、『薔花、紅蓮』は評論では意外にも批判的な評価を多く受けている。
主にこの映画の話術に対する批判がその核心だ。「説明が足りず曖昧だ」という指摘も多いが、記者は反対に、後半部分が「ナレーション過剰(度が外れた説明とストーリーへの依存)」の感じが否めないと指摘した。
すると金監督は「そうですね…『薔花、紅蓮』の撮影をしながら、この二点は必ず実践しようと決心しました。それは、ホラー映画ですが、人間味が感じられること、もう一つは芸術的に美しく撮ろうと思ったことです。ところで、公開後に意外な部分で批判を受けているので、ちょっと戸惑っています。この映画が描き出したことをすべて相殺してしまうような、ナレーションの欠陥がそれほど大きいのか、訝しいということです」
そうしながら金監督は、類似の雰囲気を漂わせる他の映画を取り上げる批判に対しては、「作った人だけでなく、観る人もやはり、これまで観て来た作品から自由になれないということが分った」と、鋭い反論を展開した。
しかし、批評をするに当たり、最も重要な物差しの一つは、「作った人が誰か」ということだ。このすべての(不公平な)批判は、彼が金知雲監督だからであろう。
「映画的年齢からして、私はまだ完成へと向かっている青年期に当たる」と謙遜に答えた彼は、「以前の映画のように、『薔花、紅蓮』もはやり、過渡期の作品の一つで、画風が変わる時の一つの場面だと考える」と話した。
私たちには、今や、優れた作家の“新しい画風”を心弾む気持ちで待つことだけが残っている。