暗鬱な家に潜む家族の秘密 映画『薔花、紅蓮』

 金知雲(キム・ジウン)監督の映画『薔花、紅蓮』(13日公開)の恐怖は、心臓をわしづかみにされるような恐怖ではなく、じわじわと忍び寄る恐怖だ。

 ぞくぞくと身の毛がよだつ場面が何度も登場するが、この映画で幽霊の出没よりもさらに圧倒されるのは、人里離れた木造住宅のあちこちに立ち込めた、ひんやりとした陰鬱な空気だ。そしてもうひとつ、悲しみがある。

 罪責感と悲しみ、執着と恐怖が入り混じるこの映画の情緒は、ニコール・キッドマンが主演した『アザーズ』と似ていている。

 『薔花、紅蓮』というタイトルにも関わらず、古典をそのまま映画化した作品ではない。二人の娘と継母、そして父親が登場する怪談のモチーフのみを取り入れ、登場人物の名前まですべて変えた。

 映画の終盤に明かされる無残な謎が、恐怖の家の至る所でとぐろを巻き、父親の無気力な傍観の中で継母と二人の娘が対立する過程を描いた。

 この映画は恐らくプロダクションのデザイン(美術)と撮影が非常に優れた作品として残るだろう。木造住宅の構造から衣裳の色や壁紙の模様まで、貫徹された統一性と表現力は、まるで空間が人物を奇怪な雰囲気で包むような背光効果を発揮している。


 少女の足から流れる血、朝に口笛で吹く子守歌、初めて謎が明かされる瞬間、激烈に揺れるスクリーンに描かれた悲痛な悲鳴など、鮮やかなイメージの数々が、明らかな生命力として存在感を示した。ヨム・ジョンア、金甲洙(キム・ガプス)、イム・スジョン、ムン・グニョンら出演陣も、映画のカラーに合った演技をした。

 しかし、この作品は技術的な完成度では優れているが、ストーリーの伝逹方法では成功できなかった映画『カル』と似ている。「イメージ」で始まるが、結局は「ストーリーテリング」で終わるこの映画は、終盤の無理なストーリー展開で、多くの欠点を浮き彫りにした。

 映画開始から80分経った時点と95分が経過した時に現れる複雑で紛らわしい反転は、それまでのストーリーを正反対の視点から見た時の反転特有の快感を与える代わりに、爆弾のような乱暴さで映画の構造を歪ませる。

 反転でストーリーのクライマックスを飾る映画は必然的に、ストーリーに「論理」を用いる他ない。だから『薔花、紅蓮』の象徴的ながらも豊かな視覚のイメージは、時間が流れるほど映画の主導権を薄っぺらいストーリーに渡して力を失う。

 映画が終わる頃に「事実はこうだった」といった形で、過去の謎を並べ出した時、この映画の話術はそれまで保ってきた作品のカラーを自ら台無しにする。『リング』、『シックス・センス』、『乙女の祈り』から『ジュラシック・パーク』まで、ヒット映画のモチーフを繰り返す場面の効果も、思ったより少なく感じられる。

 忠武路(チュンムロ/韓国映画の中心地)映画の頂点を極めた『反則王』や『クワイエット・ファミリー』で、金知雲監督の最も卓越した能力は、アイロニーとペーソスに満ちたユーモア、大衆をよく理解していながらも慣習的でないストーリー展開にあった。

 金監督にとって『薔花、紅蓮』は、例えば車と砲を離して置いた将棋のような映画だ。その将棋の内容は十分に美しく華麗だが、決してゲームでは完勝することはできなかった。

李東振(イ・ドンジン)記者
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c)Chosunonline.com>
関連ニュース