「被爆した朝鮮の魂に捧ぐ」 長編小説『カラス』の韓水山氏

 「恋も終わり、人生も幕を閉じた悲しくも短かった若い日々…。燃える長崎には黒い雨が降る」

 小説家の韓水山(ハン・スサン/57/世宗(セジョン)大教授)氏が今週、小説を出版した。1945年8月9日、長崎の原爆で亡くなった1万人以上の徴用された韓国人を描いた長編小説『カラス』(全5巻/ヘネム出版社)だ。

 彼は小説の書き出しの献詞を、「長崎で被爆した朝鮮人の英霊」に捧げた。

 「祖国の名前で暮らし、祖国の名前で死んだが、そのしかばねさえ祖国の名前で捨てられなければならなかった、長崎で被爆した朝鮮人の英霊にこの本を捧げる―」

 現在、サンフランシスコのUCバークレー大学で訪問教授として滞在中の韓水山氏が一時帰国し、10日、ソウル市内の仁寺(インサ)洞で記者たちと会った。

―出版日が盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の訪日直後だったが、時期を合わせたのか?

 「米国にいて昨日到着したので、ここ何日かのニュースはほとんど見られなかった。タクシーのラジオで過去の問題について言及しなかったことについての論評を聞いた。しかし、金大中(キム・デジュン)前大統領も訪日当時『過去の歴史にはこだわらない。帰国してから国民を納得させる』とまで言っていたのだが。非常に難しい問題だ」

―長崎の朝鮮人に関心を持ったきっかけヘ?

 「1989年に在日韓国人3世の取材をしてから、自然に興味を持つようになった。日本のNGOの『人権を守る会議』と接触して端島炭鉱を見てからは、まるで足かせを付けられたように脱することができなくなった。端島炭鉱を二回目に訪問して帰国した時には、寝ている時に彼らの叫び声が聞こえて目覚めるほどだった。こんな苦痛なことをなぜ書かなければならないのかと自問もしたが、書かなければ作家失格だと思った。それで苦心した記憶がある」

―長崎より3日前に原爆が投下された広島の被爆者とはどういった差があるのか?

 「性格が異なる。被爆者協会に登録された方々は、ほとんどが広島の被爆者だ。初期の徴用者たちは多少の賃金も受けた。しかし長崎の徴用者たちは家族もおらず、一人だけ連れて行かれ、はるかに惨めな暮らしを強いられた」

―端島炭鉱が劣悪な環境だった理由は?

 「本来、外国人が運営していたが、途中から国営になり、重罪人を苛酷に使う伝統が生まれた。暴行は日常茶飯事だったようだ」

―今回の小説のために、どの程度の資料を集めたのか?

 「韓国人被爆者に関しては、誰よりも多い資料を持っていると思う」

―小説のタイトルはなぜ『カラス』なのか?

 「日本当局は絶体絶命の瞬間に韓国語で悲鳴を上げる被爆者たちを区別し、治療をせずに放置した。日本の画家、丸木位里、俊夫妻はこの惨状を描いている。8月の猛暑の中で死体をついばむ真っ黒なカラスの群れの間を、真っ白なチマチョゴリが飛んで行く絵だ」

―この小説はそうした歴史的証言と作家の想像力の産物である虚構の間で、どういう境界があるのか?

 「小さなエピソードひとつを取っても、私が考えた資料がないほどだ。時には場面ひとつも資料にそのままあるものだ。取材した歴史的な事実をどういう構想で結び付けるのか、どれだけ生硬にならずに小説に溶け込ませるかが最も難しい問題だったに過ぎない。戦時日本の生活像も幅広く描こうとした」

―当時徴用された韓国人はどういう人たちだったのか。

 「私が彼らの理念に同意するしないは別として、朝鮮と日本の無産階級の団結を主張する程度に知的レベルもあり、被爆者救助の際には『若い朝鮮の徴用者の活躍が目覚しかった』と三菱兵器工場の日本人幹部が証言した記録もある。そうした資料と出会うたびに私は彼らが誇らしく、小説を書き進める力を得た」

―小説を脱稿した時の心情は?

 「昨夏、小説の終盤に差し掛かった時、書斎に太極旗(韓国国旗)を掲げた。苦難を乗り越え、民族意識に目覚めていく主人公たちのために。今年2月、脱稿をしてから、渡らなければならない川をひとつ渡ったという無心のうちに『ありがとうございます。やっと終わりました』という言葉が出てきた」

 この小説の前半部分は端島脱出の過程、後半部分は原爆投下の過程を描いている。地獄島で人間の条件の限界を脱する悲運の人物としてユン・ジサン、李ドンジン、チェ・ウソク、チャン・ミョングクを設定し、彼らを愛し、待ち続ける女性、ソヒョンとクムファが登場する。

金グァンイル記者
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