有名美術館で超大型の回顧展を開き、ビエンナーレなどの国際舞台で活躍する最近の作家たちは、ボヘミアンというよりはボボス(「ブルジョワ」(Bourgeois)+「ボヘミアン」(Bohemians))テイストだ。
洗練されたクールな作家たちの中で「貧しい芸術家の肖像」といった古典的雰囲気が漂うヨム・ソンスン氏(42)は、絶滅の危機に瀕した保護動物のようだ。
貞陵(チョンルン)洞にある半地下の9坪余りのアパート。みすぼらしさを増幅させているのは、絵の具の跡がアクションペインティングのように描かれた床、ドア、キッチン、冷蔵庫に塗られた濃いブルーのペイント。部屋の隅に置かれたテレビは映らず、パソコンもない。
いつも家で孤独に絵だけを描いているため、携帯電話も必要ない。ヨム氏を展示に招待した美術館が、連絡が取れないことを心配しているようで、最近ようやく携帯電話を買った。地方大を卒業し、美術界には人脈もなにもない。
パリへ留学したものの、通貨危機のために2年で帰国した。しかし、このすべてが本人にとってはまったく無駄ではなかった。「一体、どこにわき目をふる時間があるというのですか」
強烈な色が乱れるように入り混じるヨム・ソンスン氏の絵は、エクスタシー、生命力、快楽、苦痛、無意識の世界だ。
沸き上がる色の固まりが、キャンバスの外にこぼれ出そうな作品について、評論家の朴ミョンウク氏は「鬼気が漂っている」と表現した。
ヨム氏は今回、一民(イルミン)美術館(22日まで/02-2020-2055)での3人展で大型作品を、朝鮮(チョソン)画廊(12~23日/02-6000-5880)での個展で、小型作品を披露する。
「詩人のボードレールは『酒、女、花、色が私を夢見させる』と語りました」
ヨム氏は「今まで原始性、女性、不穏で浅薄なものとされ、抑圧された色を自由に解き放った」と語る。人々の心の中に潜む、色に対する恐怖と偏見をなくそうとする試みだ。
「色の力を復活させようと思います。ピンクや薄緑色が強くぶつかり合って目まいを起こさせる、といった感じです。私の絵を見た人たちは、私の頭の中にそんなものがあるのかと、ちょっと不気味に思うようです」
子供の頃から色に敏感だったという作家は「どこでも色を一つ見付ければ、後でそのまま再現することができる」と語る。
『私の心臓、私の砂』という個展のタイトルからは、情熱、そしてほろ苦さが感じられる。『崩れる春』、『消滅への誘惑』、『巨大な午後』、『孤独は大きな耳、誰かが私を呼んでくれるのを待つ』、『墓穴』、『阿片の春の夜』、『水の不安』…。作家が色の固まりにそれぞれ付けた名前だ。
「周りから絵のタイトルが美しいと言われます。タイトル一つ作るのに教保(キョボ)文庫に座り込んで数十冊の詩集を読み漁ります。そのまま『無題』にするのは卑怯ですから」
熱望なら熱望、孤独なら孤独、その抽象的な感覚を形象化するのは、並大抵のことではないとヨム・ソンスン氏は語る。
「まず下書きをして、しばらく待たなければなりません。暗闇の中で何かがふと通り過ぎる瞬間、それを一気にすくい取るんです」
自分の世界だけに没頭し、ひとりで絵を描く作家の作品について「少し自閉的ではないか」と批評する美術人もいる。
これに対しヨム・ソンスン氏は「詩人の李祭夏(イ・ジェハ)、小説家の朴常隆(パク・サンリュン)、評論家の成完慶(ソン・ワンギョン)各氏と絵画についてよく語り合います。外部との妥協が内部との妥協につながり、適当に暮らせば絵も適当に描くようになる」と答えた。
すると突然、「ひとりにならずにどうやって絵を描くのか」とたずねた。「聖書、お経を問わず本も読まなければならないし、音楽も聴かなければならないのに…」
「いつか自分だけの完璧な作品世界が完成することを夢見て、無意識・生命・宇宙を探究する」というヨム・ソンスン氏の半地下にあるアパートは、絶頂の瞬間を目指して駆け上がる画家の絶対的な空間のようだ。