「がん撲滅広報大使」になった歌手のチョ・ソンモさん

 チョ・ソンモさん(27)の時間の分け方は、一風変わっている。

 いつ頃から日記を書き始めたのかと問うと、「1stアルバムを出した頃だった」と答えた。ジャズピアノを学び始めたのも「1stアルバムの頃」だと言う。歌手になってから、最も苦労した時期は「3rdアルバムを出した後」を挙げた。

 彼は「何年ごろ」ではなく、「何枚目のアルバムが出た頃」という時間の区切り方をする。アルバムの発表と共に20代を謳歌した彼にとっては当然のことかも知れない。

 母親のがんが発見された時期を問うと、彼は「2ndアルバムが出た頃」と答えた。

 彼は息子として病床の母親を見守らなければならなかった痛みを忘れなかったのか、今回、がん撲滅キャンペーンの広報大使になった。10日には、ソウル市・小公(ソゴン)洞のロッテホテルで、がん撲滅キャンペーンの広報大使として、ミニコンサートも行う予定だ。歌ではなく、広報大使として母親へのメッセージを伝えるのだ。

 「何年か前のことです。放送中に母が、がんであることを知りました。以前は一度も母が私より小さいと思ったことはなかったのですが、その時から母が本当に小さく感じました。母と永遠に会えなくなるんじゃないかという気がしました」

 一時期、母親の胸を痛めた末っ子としての罪責感を感じたのだろう。彼は母親が、がんである事実を知った時A座りこんでしまったそうだ。

 母親の話をすると、彼は再び昔のことを走馬灯のように思い出したような顔をした。

 ポソン高校2年生の頃、「歌」という魅力に取り付かれるまでは、彼はクラスで5本の指に入る優等生だった。全校生徒が集まってキャンプファイヤーをした時、チョさんは友人たちに乗せられて歌を一曲披露し、それが人生の転機になった。

 「『一輪のあの野菊のように』を歌ったんです。その場が静まり返って、泣いている人もいたんです。その時、自然に『あ!これだ』って思ったんです」

 兄のギターを弾きながら一人で口ずさんだりはしたが、人前で歌ったのは初めてだった。その後、噂が広まって校内のボーカルクラブにスカウトされた。クラブの先輩たちと付き合ううちに、成績は40位以下に落ちてしまった。

 「家では大騒ぎになりました。一日中、母の前にひざまずいてお願いしました。『音楽をやらせて下さい。大学はあきらめるかも知れません。でも、がっかりさせるようなことは絶対にしません』と話したんです。その瞬間、母の顔色が一変して手が上ったのですが、それ以上は何も言いませんでした」

 チョさんは高校卒業と同時に歌手を目指して家を出た。金湖(クムホ)駅の工事現場などで働きながら生活費を稼いだが、家に仕送りを求めることはなかった。歌のレッスンの途中で気を失って倒れるほど、がむしゃらに努力した末に1stアルバムを出し、それを手に3年ぶりに両親に会いに行った。

 2ndアルバムを出してスターダムに駆け上がろうとしていたチョ・ソンモに、母親がすい臓がんにかかったという知らせが舞い込んだ。

 「どうか母を助けてほしいと、神様に必死で祈りました。これからは私が母を保護する番だと感じました」。チョさんはコンサートの舞台の上で母のことを思い、目の前が真っ白になった時もあったという。活動を中断することも考えたが、母親は断固としてそれを許さなかったという。

 チョさんはテレビ出演が終わるとすぐに病院に向かい、母親の付き添いをした。がん闘病中の母親のために詩集も出した。病状が好転した母親がコンサート会場を訪れると、チョさんは心の中で「ありがとうこざいます」と何度も繰り返した。

 チョさんは最近、母親が新鮮な空気を吸えるようにと、引っ越しまでした。「唯一の親孝行」という。

 新しい家の裏庭で毎朝バスケットボールをするというチョさんは、以前よりもゆとりがあるように見えた。

 「以前は音楽をやりながらも、負担を感じていました。『仕事』だと思ってしまって。今はただ、生活するような感じで楽になりました。趣味のようにやっています」

 チョさんはこれから外国に出て、もっと音楽の勉強をしたいという。「これまでは歌を歌っていただけでしたが、これからは作詞・作曲、編曲まで自分の手でやりたいと思います。韓国から抜け出し、もっと広い世界で活動してみたいとも考えています」

 移動に使っているバンのあちこちに本が置いてあるので聞いてみると、月に5~10冊は読んでいるという。週に1回、音大教授からボイストレーニングを受け、ピアノのレッスンも欠かさない。チョさんは「AB型なので気分屋で、だらしない性格なので自分で自分を追い込まないとだめ」と恥ずかしげに話した。

 多忙な中で広報大使の活動は大変なのではないか。2001年には「スター善行大賞」を受賞し、昨年は障害児基金を集めるため、週に1回の割合で4回もフルマラソンを完走した。マラソン選手も顔負けの力走だったという。そうして集めた基金は6億ウォンに達した。

 「そんな無茶なことをしたのか」と聞くと、チョさんはきれいな歯を見せて笑った。

「私がやった?神様が私を使ってやりたいことをやったんです。『あー、面倒だ』と思いながらやったんですよ。今回のがん(撲滅)広報大使もそうです。お金がなくて手術を受けられない子供たちを見ると胸が痛みます。

広報大使として私にできることと言えば、お金を集めることでしょう?がんばって、そういう子供たちをサポートしたいです」

孫檉美(ソン・ジョンミ)記者
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