ターミネーター3で戻ってきたシュワルツェネッガー

 「I’m back(戻ってきた)」

 彼が約束を守るには12年がかかった。1991年、「I’ll be back(必ず戻る)」という名台詞を残して姿を消したターミネーターは、「ターミネーター3:機械たちの蜂起」(監督:ジョナサン・モストウ )とともに観客の前に戻ってきた。

 この12年間、監督は切り替えられ、少年だったジョーン・コナー( エドワード・ファーロング)は20代の青年(ニック・スタール)に成長したが、ターミネーターは相変わらずアーノルド・シュワルツェネッガー(56)だ。なぜ?シュワルツェネッガーでないターミネーターは想像すらできないためだ。

 「T3」と呼ばれるターミネーター3編の撮影を終え、カンヌ国際映画祭に参加したシュワルツェネッガーを、国内のマスコミでは単独で16、17両日インタビューを行った。

 スーツにカウボーイブーツ姿のシュワルツェネッガーは、始終シガーを吸っていた。近くで見ると、目元や首に皺が多かったが、イントネーションのない低い声と、鋼のようにガッチリしたる体は12年前と同じだった。

 「私は続編はあまり好きではありません。新しい仕事をする時間も足りないのに、1度やったことを繰り返すのは無駄だと考えているためです。しかし、ターミネーターシリーズは例外ですね。T2の撮影が終わるやいなや、T3のスケジュールを聞いたほどです。長い時間がかかった分、誰も見たこともない特殊効果を堪能できると思います」

 T3でもターミネーターは地球の滅亡を防ぐため、未来から送り込まれる。今回彼と対決する「キラー」は、美女サイボーグ「T-X」。約7分に及ぶ編集画面で見たシュワルツェネッガーのアクションは、50代という年齢を感じさせない破格力にあふれていた。

 「撮影の3カ月前にバイク事故で怪我をしたため、体を十分に鍛えられなかったのです。1日2~3時間訓練をしましたが、当然というか、体力の限界を感じますね。その時からは精神力で耐えるのです。苦しくても勝者になるためにはそのような苦境を乗り越えなくてはなりません」

 シュワルツェネッガーは、野心家らしく「勝者(winner)」という言葉を好んで使った。オーストリアの片田舎出身である彼は、23歳に世界的なボディービルダーになり、ハリウッドに入城した。

 駆け出しの頃は不自然な英語発音のため、端役した回ってこなかったが、演技よりアクションを全面に出した「コナン・ザ・グレート」(1982)と「ターミネーター」(1984)に出演し、世界的なスターの座にのし上がった。

 以来、「コマンドー」(1985)、「トータル・リコール」(1999)、「コラテラル・ダメージ」(2002)を世に送り出したシュワルツェネッガーな、ここ20年間、ハリウッド最高に「アクションヒーロー」だった。「ツインズ」(1988)、「キンダーガートン・コップ」(1990)などで家庭的なイメージまで植え付けた彼は現在、有力なカリフォルニア州知事候補でもある。

 「撮影中にも休みの時間があるように、アクションは好きですが、コメディー映画にも出演できます。演技と(政治)活動も同じですね。どうせ、人生は1回しかないし、私は私に与えられた全ての挑戦と機会を楽しんでします」

 ギネスブックに「歴史上、最も完璧に発達した体」の持ち主と記録されたシュワルツェネッガーは子供時代に友達に話したという3つの夢(米国への移住、映画スターとしての成功、ケネディー家門の女性との結婚)を全て叶えたことで有名だ。

 初めて故郷を離れ英国で働き出した彼の給料は週当たり30パウンドを下回ったが、T3のギャラはハリウッド最高水準の3000万ドルに達する。

 休みの日には50歳に得た第4子と多くの時間を過ごしているというシュワルツェネッガー。富と名誉、そして幸せな家庭まで手にしている彼にまだ叶えられなかった夢はあるだろうか?

 「人々が望んでいることを私が持っているということが私の『満足』の基準になるわけではありません。全ては人それぞれですからね。

私はいつもさらに多くのことに『飢え』を感じています」

カンヌ=李自妍(イ・ジャヨン)記者
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