米ジャパン・ソサイアティー美術館の副館長務める禹賢受さん

 禹賢受(ウ・ヒョンス/34)さんは1907年、米ニューヨークに設立されたジャパン・ソサイアティー唯一の韓国人職員だ。ジャパン・ソサイアティーは日本と米国の間の理解と協力関係増進のために働く非営利民間団体で、計70人余の職員中、米国人70%、日本人30%となっている。韓国人は禹賢受さん1人だ。

 禹賢受さんの公式の肩書きはジャパン・ソサイアティー美術館の副館長。韓国人が米国に日本文化を知らせる役割を果すのは異例のことだ。

 禹賢受さんは現在、ジャパン・ソサイアティー美術館で開かれている『韓国と日本の初期仏教美術展』の件で非常に忙しい。今年6月22日まで開かれるこの展示会は、北東アジアに初期仏教が伝播された6世紀当時から9世紀ごろまで、日本の仏教文化の発達に韓国がどのような影響を及ぼしたのかを探るのが目的だ。

 韓国と日本から運ばれて来た金銅仏、木仏、石仏、鉄仏など仏教美術品を鑑賞する米国人の真摯な表情を見て、幸せを感じると、禹賢受さんは語る。

 「この展示は美術史的事実を解明する極めて重要な展示でありますが、ある意味、日本より韓国の方がさらに重要なんです」

 美術館が本当に誠意を尽くしたのだから、今回の展示会は絶対に成功するはずだと、禹賢受さんは話す。「観覧した方たちが長い間、話題にするような、そんな展示になると確信しています」

 今回の展示はジャパン・ソサイアティー美術館のアレキサンドロ・マンロー館長が1998年から企画したもので、5年をかけてニューヨーカーに公開された。

 しかし、禹賢受さんにとってもこの展示はいつもとは違う。「1998年9月、パートタイム研究員としてジャパン・ソサイアティー美術館と縁を結んだのが、この展示の準備のためでした。その後、能力を認めてもらったのか、2001年3月、館長補佐官として正式に採用され、入社から9カ月ぶりの2002年1月に副館長と、超スピードで昇進したわけです」

 彼女が韓国人でありながら、このような仕事につくようになったのは、彼女の独特なチャレンジ精神の一役果たした。

 「米国人の副館長が2001年11月、突然止めてしまった後、私に任せてくれと頼みました。入社して1年も経っていない職員を副館長に任命するのは、他の部署の職員の目もあるし、なかなか難しそうでした。でも、数カ月後に、半年間副館長職務代理を務める条件で、発令を受けたんです」

 禹・副館長はジャパン・ソサイアティーでの経歴は1年足らずだが、副館長の座に相応しい充分な学歴と経歴を持っていた。

 ソウルで梨花(イファ)女子大学・中国語中国文学学科を1992年に卒業し、同じく梨花女子大学美術史学科大学院に進学、東洋美術史を専攻した。「美術史を勉強する姉の影響を多く受けたと思います。それに、中国語中国文学は広い範疇で東洋学に含まれますから」

 専攻を変えたため、4年目で修士号を取得、1996年8月に米国留学した。

 同年9月、博物館と美術館行政を勉強するニューヨーク大学・芸術行政修士課程に入学した。彼女は米国で運がいい方だった。米国に来て4カ月目の1997年1月から、ニューヨーク所在ブルックリン博物館の東洋美術研究員として就職した。主に韓国所蔵品の調査や所蔵品に対する記録、校正を行い、新たな情報を獲得する仕事だった。

 「米国内に所蔵された韓国美術品は、韓国にあまりにも知られていないんです。特に、資料そのものが非売品だから、一般人にはほとんど知られてないですね」

 だから、禹・副館長は1997年から「月間美術」に米国にある韓国美術品所蔵品に対する文章を書いたという。マンハッタン所在のメトロポリタン博物館が韓国室を開館したことから、1997年7月からは美術館の契約職講師としても活動している。

 禹・副館長はインタビューが終わると、「今回の展示はジャパン・ソサイアティー、コリア・ソサイアティー、韓国の国立慶州(キョンジュ)博物館、日本の国立奈良博物館、日本の国際交流基金、韓国の国際交流財団が共催した」とし、すべての功が自分に回ってくるような記事にしては困ると、何度も話した。

ニューヨーク=金載澔(キム・ジェホ)特派員

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