金サンギョンという俳優は、追いかけるのが大変だ。今ここにいると思ったら、いつのまにか他の場所に行ってしまっている。それほど大きな変化ではないにしても、毎回何かしら驚かされる。
ドラマでは主に、小奇麗な金持ちの息子役を演じてきた金サンギョンが映画『生活の発見』で放浪者のギョンス役でスクリーンデビューした時も、人々はいぶかしがった。汚らしい風体が金サンギョンに似合うのか?
しかし、いつのまにか金サンギョンは二人の女性の間で揺れ動くやつれた顔をしたギョンスになっていた。
金サンギョンはまるで無色のセロハン紙のように、春川(チュンチョン)へ行けば春川に、慶州(キョンジュ)に行けば慶州の雰囲気に馴染んだ。
そんな金サンギョンが「華城(ファソン)連続殺人事件」を扱った『殺人の追憶』に刑事のソ・テユン役にキャスティングされた時、人々は宋康昊(ソン・ガンホ)の演技の影に隠れてしまうのではと思った。しかも『生活の発見』と『殺人の追憶』は、「恋愛の思い出」と「死体の発見」というまるで正反対の内容だ。
しかし、『殺人の追憶』の金サンギョンからは、優柔不断なギョンスの姿はどこにも見られない。殺人という渦中で徐々に理性を失っていくソ・テユン刑事がいるだけだ。身なりはだらしないが、全身は緊張で張り裂けそうで、全身が怒りに満ち溢れている。目は刀の刃のようで、下手をすれば切られそうな雰囲気だ。
「実際の被害者たちの写真を見たんです。その日は眠れませんでした。亡くなった女子中学生の写真と、死体で発見された時の姿がまだ目に焼きついています」
金サンギョンは『殺人の追憶』の撮影で自分が経験した変化を「罪責感」という単語で説明した。地方の女性や子供たちの安全を守れなかった時代、ソ刑事を支配した重圧感はそっくりそのまま罪責感になって金サンギョンを押さえつけた。当時の事件に対する記録を見て、何とも言えない息苦しさと怒りを感じた金サンギョンは、撮影がない日も気持ちが楽にならなかった。
「友達と会って酒を飲むと、しきりに罪を犯した気分になるんです。『自分は今、こんなことをやっている場合ではないのに』と思えてきて…。映画の中でソ刑事が敏感になるほど、自分も同じになるんです。なので女子中学生の死体を発見する場面を演じた時が一番辛かったです」
映画の冒頭、冷淡に見えたソ・テユン刑事は、後半になるほど驚くべき吸引力で観客を話の中に引き込む。ソ刑事のように書類(シナリオと資料)を徹底的に研究するスタイルの金サンギョンは、地方のロケ現場に向かう途中に体重を減らすために食事もせず、疲れた姿を演出するためにわざと睡眠時間も減らした。
撮影期間が長くなり、季節は冬を迎え、ストレスは頂点に達した。ソ刑事が雨の中で狂ったような大声を出す場面について、金サンギョンは「マグマのようにたまっていた怒りがついに爆発した」と語った。
「撮影が終わってから、ぶらりと旅に出たんです。ソ・テユンという人物から完全に脱したくて。とても辛い記憶なので、映画自体を忘れようとだいぶ苦労しました」
すると、髭をすっかりと剃り、ピンクのニットを着たけた金サンギョンのさっぱりとした姿からは、いつのまにかソ刑事の面影はなくなっていた。
金サンギョンはドラマの金持ち息子、ギョンス、ソ刑事の中で、誰が最も自分と近いかはよく分からないそうだ。金サンギョンが確信したのは、こうしたまったく違うキャラクターを演じることが楽しいという事実だ。
「ロケ現場でモニター画面を見れば、確かに自分がいて自分の声なのですが、自分ではないような感じがします。太陽の照りつける日に昼酒を飲んで外に出たような感じじゃないでしょうか。逸脱するというか、それがとても楽しいんです」
子供の頃から映画が好きだったという金サンギョンは、映画に出演しながらさらに何倍も好きになったと言う。普段は注意散漫だが、演技している間だけは集中できると言う。
演技は金サンギョンに最もストレスを与えるが、それでも彼が今までやってきた仕事の中で最も好きなものでもある。そのため、時々金サンギョンは思い出す。『殺人の追憶』の撮影当時、彼の全身と心を押さえつけた罪責感の重さを。
「韓国の人たちは、すぐに忘れるじゃないですか。特に悪い事であればあるほど、忘れてはいけないことまで忘れてしまう。『殺人の追憶』はその痛みを忘れず、同じように痛みを分かち合いながら撮影した映画です。
理由もなく過去の悲痛な記憶を利用して金儲けをしようとした映画ではないという点を、人々がわかってくれればと思います」