障害者のためのインターネット放送「希望放送」の李貞善(イ・ジョンソン/43)制作第2本部長は、サイバー空間を通じて障害者スターを発掘したいという夢と自信を持っていた。
李本部長の意志には、一生を松葉杖をついて生きてきた障害者としての体験と、16年間放送分野で活動してきた人生の軌跡が刻まれている。彼女は「障害者放送はお涙頂戴の役割に止まることが多かったが、『希望放送』は障害者の才能を導き出す放送になるはず」と話した。
歌謡祭を通じて、少女ファンの熱烈な声援を受ける人気歌手に劣らぬ、障害者スターを育てるつもりだという。
李本部長は1歳足らずの時、小児麻痺を患ってしまった。家が豊かだったおかげで、大きな困難なく生きてこられたが、1979年の大学入試で自分が障害者であることを、冷静に見つめることができたという。
「面接した教授が私を見て、カードに“修学不能”と書いたんです。学校に階段が多いため、障害者は勉強できないということでした」。
李本部長は大学で東洋画を専攻した。野外スケッチがある時は、男子学生に負ぶってもらわなければならず、苦労の続く勉強だったが、幼いごろから憧れたアナウンサーへの夢を捨てることはできなかった。
1986年、勇気を出して放送局に願書を出しに行った時、列を並んでいる人たちを見て、またもや気が小さくなった。それでも放送への未練を捨てきれず、翌年、レポーターとして放送局の生活を始めた。
李本部長は「松葉杖を使うと歩く速度が遅くて、取材する人を逃してしまうことが多かった」とし、「そのような失敗を繰り返さないよう、常に行事が始まる前に到着して待つように心かけた」と話した。このような努力で、多数の番組を受け持ち、放送生活を続けることができた。
李本部長が「希望放送」制作第2本部長を受け持ってほしいという提案を受けたのは、今年初めのこと。レポーターとして活動しながらプログラムディレクター(PD)としての仕事も一緒に習っており、95年には障害者のためのラジオ放送「愛のソリ(音の意)放送」で制作本部長を歴任した経歴が認められたのだ。制作チーム20人余中、李本部長は唯一の障害者だ。
李本部長は「初めて放送生活を始めた時は、障害を個人的な不幸と考えたが、放送生活を続けながら、これは社会的問題だということを知った」とし、「希望放送」に参加した理由を明かした。
「希望放送」は現在、ドキュメンタリーとミュージックビデオなどの映像チャンネルと、音楽番組などのラジオチャンネルを同時にサービスしている。視覚障害1級のヤン・ナムギュさんがパーソナリティーを務める「CCM天国」は、1日の接続数が200かいを超える人気コーナーとして定着している。
李本部長は番組企画の方向を定め、アイテムを決める役割をしている。
李本部長は昨年、ソウル市議会に進出し、現在、保健社会委員会で活動中だ。「障害者の才能を生かし、社会に参加できるようにしたい」というのが、市議員としての希望だ。放送制作本部長としても、市議員としても、常に心に持ち続けてきた抱負でもある。