「芸能界にデビューして、歌手の朴ミギョンさんの側でラップをしながら、ダンスを踊ったことがあります。その時の日当が3万ウォンだった。それを使わずに、1億ウォンを貯めました。食事はもっぱらパンか、ジャージャー麺。高い料理など食べたことがありません。一時スポットライトを浴びても、すぐに忘れ去られてしまう歌手を無数に見てきましたから。残るものはやはりお金しかないと考えたんです。だから、必死になってお金を貯めました」。
深夜、姜元来(カン・ウォンレ/35)さんは、車椅子に乗りながら、リビングのあちこちを行き来していた。そして、投げ出すように話す。まるで、喉に引っかかった不愉快なものを吐き出すようなしゃべり方だ。
2年前、オートバイに乗っていた最中、車と衝突したこのダンス歌手は、集中治療室で一緒に治療を受けていた患者十数人が死んでいくのを見て、ずいぶん泣いたという。「こうなってしまうのに、なぜあんなに必死になって金など貯めたのだろう…」。
姜元来さんは巨額の保険金を受け取ることになった。裁判所は先週末、「加害車両の保険会社は21億ウォンを支給せよ」と、和解勧告決定を下した。記者は「あなたの言った通り、本当にいくらでも好き勝手に使えるお金ができましたね」と話しかけた。彼は、これといった感想もないように、冷笑的に話した。
「人は、私が宝くじにでも当たったと思うでしょうね。金か…。私は今もこれまでに稼いだお金が多いんですよ。私の通帳を見せましょうか? どうせ、私は金を稼ぐために生まれてきた奴ですし、そうしようと思って歌手デビューもした。金に欲も多かったしね」。
「でも、そのお金で私を治すことはできないんですよ。車椅子に乗った体でベンツなんか乗ってもしょうがないでしょう?金のことなんか、考えてませんよ。今、私は赤ちゃんのことで頭がいっぱいなんです。ソンイ(妻の金ソン)と子供を持つつもりですからね」。
姜元来さんは2回の体外受精治療を受けたが、2回とも失敗だったと、しょんぼりと話した。「5~6%の確率ですからね。運が良ければ、1回目で成功するでしょうけど、20回やっても駄目かも知れないし…」と呟いた。
なぜ、そんなに自分の子供に執着するのかと聞くと、彼の答えは簡単だった。「生きる目的が必要だと思ったんです」。
「正直言って、今は生きる目的がないんです。ずっと働いて、お金を貯めるだけでしたから。事故に遭ってからは、家でコンピューターのモニターを眺めるか、テレビばかり見てるんです。こんな生活が、もう2年ですよ」。
そして、自分に対するプライドを示した。
「私は半年でリハビリ病院を退院しました。通常は1~2年はかかるらしいです。事実、私が人より早く適応したわけではありません。周りの視線があまりにも多くて、恥ずかしい真似ができなかっただけです。まだ、障害者の権益問題について話すほどの準備はできていませんが、『ポポポ』や『テレビ幼稚園』など子供用のテレビ番組に、車椅子に乗った子供が一人くらい出演してもいいのではないか、ということは考えますね。そんな番組を観た子供たちが大人になれば、障害者に対する偏見が少しはなくなるかも知れない」。
-あなたは今も自分が不幸だと考えますか。
「もう、不幸だとは思いませんよ。運命だと受け止めています。ある障害者の友人が『君が障害者になったのは人々に感動を与えるためだ。君だけにしかできない能力があるはず』と話してくれました。今すぐには無理かもしれませんが、いつか、私が誰かに感動を与えられると信じています」。
「今は、障害者たちと一緒に、静かなところでカフェを経営したいと思っています。カフェの名は『wheelchair(車椅子)』。そこには、椅子が一つもないんです。みんな車椅子に座って食べなければならない。天井も立っては歩けないほど低くして、みんな車椅子で移動するようにするとか。カフェで働く人も全員障害者にするつもりです」。
記者は「もう一度歩けるようになれば、何が一番したいか」と聞きながら、彼が舞台の上で飛び跳ねながら『クンタリシャバラ』を歌っている場面を思い浮かべた。しかし、彼は「気持ちよくトイレに行きたい」と、少し神経質になりながら答えた。
「小便はホースをつけて、4時間ごとに抜いているし、大便は肛門から…。なんですが、私の体は排泄の感覚さえないんです。性欲もない。欲望さえもないということが、怒りとなって噴出されるんです。リハビリ病院で車椅子に乗る訓練をしていた私のところに、おばさんたちが『サインしてくれ』と寄ってきた時、無意識的に悪態を吐いてしまいました」。
「一時は、人間嫌いがひどく、精神科の治療も受けました。しかし、時間が経つに連れ、『私がずいぶんひどいことをしたな』と、反省しました。人々が私をつい見てしまうのは当然だったんですよね。今は、もう少し自信を持って、障害を受け入れることが出きるようになりました。克服したのではなく、生きるために、何とか適応しているんです。もしかすると、自分が芸能人だったから人は見るわけだし、だから、適応できたのかも知れませんね」。
-芸能界に未練が残ってますよね?
「芸能界に復帰したくないと言えば、嘘になりますね。でも、舞台の上の自分がどんな姿に映るか、想像ができないんです。車椅子に乗った私が涙をぽろぽろ流せば、多分関心を集めるでしょう。でも、同情されるつもりなど、さらさらないんです」。
「『クローン』というグループは、楽しく歌を歌うというイメージがありました。私たちはワールドカップ(W杯)ソングも歌ったんです。『W杯と最も似合う歌手は誰か』というリサーチで選ばれたのは、シン・スンフンでも、金ゴンモでも、ソ・テジでもなかった。私たち、クローンだったんです。なのに、私がそんな悲しい姿を見せるなんて、許せませんよ」。
偽悪的と思わせるほど、言葉を吐き出していた彼の瞳が悲しげに翳った。
「以前、舞台で誠意なく歌ったことも、後悔しています。病院で会った臨終間際のがん患者から、「姜元来さん、あなたの『クンタリシャバラ』は本当に良かったよ」と言われた時、私は正直な話、金を稼ぐために歌を歌ったのに、『歌の一つが人々に力を与えていたのか』と、思い知らされたのです」。
-『クローン』のメンバー、ク・ジュンヨプさんとは…。
「ジュンヨプには本当に申し訳ないですね。私たちは高校と軍隊の同期でした。映画『友へ/チング』に出てくる、そんな友たちだった。でも、私のせいで『クローン』というグループがなくなってしまったでしょう?あいつも車椅子姿の私にすまなさそうにしているし、私も悪いと思うから、会うのを躊躇してしまって」。
「連絡が途切れるようになって、段々、遠くなっていくような気がします。仲良くしていくためには、何か仕事をしなければならないんですが、ジュンヨプが車椅子の私に合わせなければならなくなるから。そうすると、私はすごく負担を感じてしまうんです」。
-食事は?
「1日に1食だけ食べます。あまりにも太ってしまって。以前、あんなに飛び跳ねていたのに、そうすることができないから、すごく太ってしまいました」。
過去、彼の実物を見たことはないが、多分、過去の彼はとんでもなく痩せていたに違いない。今の体が普通だということを、彼は早く悟らなければならない。別れる時、彼は「硬く話しすぎましたよね」と聞いた。硬い口調がなぜいけないのか。
チェ・ボシク社会部次長待遇