不良教師を泣かせた「田舎の童心」

 映画『先生キム・ボンドゥ』(28日公開)の批評は、まず車勝元(チャ・スンウォン)から始めなければならない。

 コメディーの真髄は意外性にあるということを教えてくれる長身でハンサムなこの俳優は、『新羅の月夜』をはじめ、『ライターをつけろ』、『光復節特赦』を経て、ついに『先生キム・ボンドゥ』で自分の名前をコメディージャンルのブランドネームに押し上げる最高の演技を見せた。

 田舍の子供たちに媚びるような目をしながら衝突する場面から、まるで三人で花札をしているかのように一人でぶつぶつと言いながら遊んでいる場面まで、さまざまな表情と演技で観客の心をつかむ車勝元は、コメディーのリズムを体に染み込ませてしまったようだ。

 映画のほとんどの場面に登場し、常に個人技を披露する舞台に変えてしまった車勝元は、誇らしい代表作の一つを得た。

 主人公の名前をタイトルにした点からも分かるように、この映画は強力なキャラクターを武器にしたコメディーだ。

 キム・ボンドゥは、いかにして寸志を多くもらえるか、それだけを考えている不良教師だ。その思惑と反して、江原(カンウォン)道の片田舎にある分校への赴任が決まった。

 生徒はたったの5人だけというその小学校でも、悪癖を捨てられないキム・ボンドゥ。しかし、子供たちの純粋な心に徐々に変化を見せる。



 『先生キム・ボンドゥ』は「田舍に行ってカきることの本当の喜びを発見する都会人」の話を、ユーモアと感動で描いているという点で、李廷香(イ・ジョンヒャン)監督の『家へ…』を彷彿とさせる。

 『同い年の家庭教師』のトップランナーのバトンを受け継ぎ、今年の上半期の韓国映画の大ヒット作になると予測されるこの作品で、チャン・ギュソン監督は、忠武路(チュンムロ/韓国映画の中心地)が最も得意とする大衆映画のフレームの一つを提示した。

 最近、大ヒット作品の多くがコメディーでは才気を見せながらも、内容的には大部分が慣性的で機械的であったのに比べ、この映画はストーリー自体も既存のスタイルを明らかに脱し、相当な吸引力を発揮している。

 1時間30分の間、車勝元のワンマンショーに近いコメディーで始終笑わせてくれるこの映画は、ラスト30分間はストーリーの力で勝負し、観客を大いに泣かせる。

 『先生キム・ボンドゥ』は明らかに忠武路の頂点になるような映画ではない。「都市」と「田舍」を機械的な方法で雑に分け、後半部分では意図が外れた繰り返しの場面構成と強迫的なカメラアングルでリズムを失う。

 しかしこの映画は最後まで観客を楽しませる頭脳と、腕組みを解きながらそっと心を開く温かさを持っている。

 『先生キム・ボンドゥ』は堕落した人間の心の片隅にも、善意が強い生命力として生きていることを伝えてくれる映画だ。もつれた内容一つないこのヒューマンコメディーは、だからこそ温かい。そして分かりやすい。

 この映画を観た後、忙しい日々の生活の中で、ふと5人の子供一人一人の気持ちや真っ黒な顔を思い浮かべた時、あなたはもう少し優しくなろうと思うかも知れない。

 優しくなりたいと感じた時から、あなたは確かに少しでも優しくなっているのだ。だが、世の中は少しの思いやりもないのはなぜなのだろうか。

李東振(イ・ドンジン)記者
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