映画『星』はキャスティング当時、劉五性(ユ・オソン)の4億ウォンという巨額の出演料で話題となった。ところが『星』のポスターには、劉五性の姿が見えない。
主役を排してまで得ようとしたこのポスターの狙いは何だろうか。それは「情報」を去勢することで得ることのできる「好奇心」と美学的に統一した独特の「雰囲気」だ。
ポスターからは、映画に対する最大限の好奇心を駆り立てるという意図が読み取れる。唯一登場する一人の子供は、性別さえ分からない。
「すれ違った二人の愛、まだあの人が気付かなくて寂しい」というキャッチコピーも、他の情報は一切与えず、単純にデザインとしての役割をする二行の「虚辞」のように見える。
しかし、主役の姿を登場させなかった代わりに「劉五性」という名前を大きく表したメインコピーは、これらの意図の裏面にある苛立ちを漂わせている。
特に目を引くのは、このポスターの独特な雰囲気だ。子供の悲しそうな表情が目を釘付けにするが、最も重要なのは一面を覆う余白の薄暗い残像だ。
タイトルの『星』を英語の「star」とせずに、ハングルの発音記号「byu:l」で表記した点も同様な印象を与える。もしかすると、劉五性の写真を使わなかったのは、彼の強烈なイメージがこのポスターの悲しい叙情にそぐわないという理由もあったからだろうか。
全面白黒で覆われたポスターの中で一段と目立っているのが子供フ赤いマフラーだ。今までにも多くの映画が白黒で一面を覆い、一部分のみを赤で表現して強調した。
「ヨーロッパ」は洗面台に落ちた血だけを赤色で処理し視覚的衝撃を与え、「プレザントビル」は唇とリンゴの赤だけに色を与えて「欲望」を強調した。
『星』のポスターの赤いマフラーは、『鉄道員(ぽっぽや)』の過去の白黒場面に登場する主人公の妻と娘の赤い服のような感じで使われた。赤の強烈さは、時が流れるほどに濃くなる思い出の生命力に違いない。