北京舞踊大学副教授を務める舞踊家の沈淑慶さん

 「中国舞踊とは違った韓国舞踊の理論と基本動作などを教えるつもりです。韓国舞踊のカンガンスルレ(全羅(チョルラ)南道地方の伝統的な踊り。大勢の女性が円陣を組んで『カンガンスルレ』と歌いながらぐるぐる踊り舞う情緒的な舞踊)や扇子の舞いの美しさを教えるつもりです」

 国立国楽院の首席舞踊家という安定した地位を離れ、35歳で中国留学の道を選んだ沈淑慶(シム・スッキョン/40)さん。その沈さんが、留学してから4年3ヵ月で、北京舞踊大学の副教授として教壇に立つことになった。

 沈さんは今年の新学期から中国55の少数民族舞踊を学ぶ学生たちを教えることになる。北京舞踊大学は舞踊分野では中国で最高峰の名門大学だ。沈さんは新学期からの授業を通訳なしで直接中国語で行う。

 沈さんが自分の人生をよりいっそう充実させるために中国に向かったのは98年。沈さんは「舞踊家として常に踊りの動作の意味や由来が分かれば、もっと上手く踊ることができると思っていたし、単純な舞踊家として終わるのが嫌だった」と語った。

 沈さんは中でも国楽院で宮中舞踊に陶酔し、「宮中舞踊は中国の宋から伝来したので、中国と韓国を結び付けて学べば思考の幅をずっと広げることができると思った」と語る。

 沈さんが中国行きを決めると、周りからは「物凄い勇気だ」と褒め言葉ももらったが、「何を馬鹿なことを」と呆れる人も多かった。中国での生活は予想以上に辛かった。

 中国に向かう前に中国語学校に通ったのがすべてだったが、現地入りしてから6カ月後に入学試験を受けなければならなかった。

 「部屋に閉じ篭って、1日15時間ずつ勉強しました。予想答案を書いて、何百回も書き写しました」。

 沈さんは「中国語のテープを聞きながら眠ったことも数知れない」という。いつも口の5~6カ所は腫れていた。論文を準備していた1年間は、夜を徹し、午前8~9時に眠る生活を続けた末、博士論文を終えることができた。沈さんの論文の題目は『麗·宋時期の韓中の樂舞交流史』。

 中国舞踊大学は沈さんの論文だけでなく、国立国樂院の首席舞踊家として働いた経歴をすべて認め、副教授として招いた。沈さんは「中国で副教授になることは容易なことではない」とし、「社会主義国家であるため、実績や条件などを重視する」と話した。

 沈さんは「他の時期の韓中の舞踊交流史も引き続き研究する計画」とし、「今後、韓国の宮中舞踊界に必要な人物になりたい」とした。また、「北京舞踊大学側に最高の待遇を要求した」とし、「それは私が偉いからではなく、韓国舞踊界全体のプライドと、後に来る人のために」と話した。

朱裕麟(チュ・ユリン)記者
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