戦争を控えたイラクをカメラに収めた金ヨンミPD

 昨年イラクに向かった「戦場探険専門プロデューサー」の金ヨンミさんが帰国した。一人で6ミリカメラ1台を担ぎ、戦争を控えたイラクで恐怖にさらされた庶民たちの日常をカメラに収めた。

 金さんは昨年、KBS第1テレビの『日曜スペシャル』で、アフガニスタンの女性たちの姿を生き生きとたらえたドキュメンタリーを制作したフリーのプロデューサーだ。彼女が作ったドキュメンタリー『中東の火薬庫、一触即発のイラクを行く』は、今月末SBSテレビで放送される予定だ。

 金さんがイラクの隣国、ヨルダン入りしたのは昨年11月9日。イラクのビザをもらうのに約1カ月かかった。何とかイラクのバグダッドに到着したが、政府から指定された運転手とガイドの前ではなすすべがなかった。通行人だと思っていた人々が観光客や商人に姿を変えて金さんを監視し続けた。外国の取材陣に付きまとう秘密警察だった。

 「アフガニスタンでは命がけでカメラを回しましたが、イラクではそれが通じなかったですね。カメラの角度まで警察が決めるんですよ」

 金さんは東ティモール、アフガニスタン、パキスタンなど、世界の紛争地域のどこへでも飛んで行く「従軍プロデューサー」だ。

 すると彼女は「戦争に関心があるというよりは、戦争の中で生き抜く人々の話が聞きたくて」という。2000年初め、300万ウォンのビデオカメラ一台を手に入れ、そのまま東ティモールに向かったのが辛い旅の始まりだった。

 バグダッドに到着した金さんは「ムスタパ」という名の家族の生活をカメラに収めた。

 撮影が許可されたのは秘密警察の厳重な警戒の中、1回だけだったが、バグダッドに滞在する25日間、こっそり「ムスタパ」一家と会った。韓国大使館に寄った後、黒い布をかぶり、他の車に乗り換えたり、韓国会社に向かうふりをして、尾行をまいた。一家は徐々に心を開いてくれた。

 「どこへ行っても、サダム・フセインへの賛美一色でした。しかし、ムスタパ一家は91年の湾岸戦争を思い起こしながら、怯えていました」。

 金さんは高熱と咳に苦しみながらも、強行軍を続けた。バグダッド市民が配給を受ける様子やバグダッドの学校の授業、市民らの市街行進なども撮影した。

 先月末までヨルダンに滞在しながら、イラクの避難民とインタビューをした金さんは、イラク戦争が終われば再びイラクに向かう予定だ。彼女は「ムスタパ一家の生活がどのように変化したか、自分の目で確かめたい」と話した。

朴玟宣(パク・ミンソン)記者
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