国際大会4連勝の新世代マジシャン 李ウンギョル

 高度成長期に韓国社会を支配したのは「技術」だった。民主化と同時に「学術」も発展した。しかし「魔術」は相変らずのレベルだった。李ウンギョル(22)というマジシャンが現われるまでは…。

 李ウンギョルは毎週金曜日に放送されているKBS第2テレビの『爆笑クラブ』でマジックを披露している。数日前に教保(キョボ)文庫で開かれた李ウンギョルの著書『李ウンギョルの目で学ぶ魔術』のサイン会には、数十メートルにもなる行列ができた。

 昨年12月に国内で初めて開かれ、ソールドアウトとなった「魔術コンサート」に続き、14~16日、貞洞(チョンドン)A&Cでアンコール公演を開く。

 つんつんとした金髪頭(本人は「自由の女神スタイル」と呼ぶ)をした李ウンギョルに会った。この若手マジシャンは、バラの花を花火にし、手の平で雪を作って降らす。袖をめくった手の中に小宇宙がある。

 「マジックは技術であり、化学でもあり物理でもあります。10年前に電話線を通じてインターネットに接続したこともマジックだったんです。マジックもまったく同じです。それを単純に『トリック』と言ったら、あまりにも心のゆとりがないと思います」

 李ウンギョルは中学3年生だった1997年に「引っ込み思案な性格を変えよう」と決心し、マジック教室に通い始めた。初日に学んだマジックはとても簡単だった。『マジックブック』という本を開けば文字が現れ、気合いを入れれば文字が消えるというものだった。


 「兄と姉に見せたんですが、まんまと引っかかったんですよ。誰かに認められたのは初めてでしたし、本当に嬉しかったです」

 李ウンギョルは高校2年生の時まで自宅と学校、マジック教室だけを行き来した。このため学校内では“スター”になった。校長室でカードマジックを披露したり、文化祭が開かれるたびにショーを行った。

 李ウンギョルは「唯一、カードを持って登校することができる生徒だった」と笑った。大学(東亜(トンア)放送大放送芸能学科)にもマジックで一芸入学した。

 李ウンギョルの才能を最初に発掘したのは日本のマジシャン、山本勇次だった。山本は偶然に李ウンギョルのマジックを目にし、2001年7月に日本で開催された国際マジック大会の出場権を与えた。

 この大会で世界各国から参加した16人のマジシャンを圧倒して1位に輝いた李ウンギョルは、昨年4月に南アフリカ共和国で開かれた「SAチャンピオンシップ」、7月に米ニューヨークで開かれた「SAMマジックコンベンション」で相次いでグランプリを受賞した。

 今年1月には世界で最も権威のあるマジック大会「ワールドマジックセミナー・インラスベガス」でも優勝、破竹の4大会連続グランプリを達成した。「自分でも実感が湧きません。授賞歴のプレッシャーも大きいですし。ですがマジックが大衆化するには朴賛浩(パク・チャンホ)選手や朴セリ選手のように、外国で認められるのが重要だと思います」

 写真撮影のためにいくつかのマジックを披露してもらった。テーブルクロスの端をつかむだけでテーブルが宙を舞い、帽子の中からはトランプのカードが噴水のようにあふれ出た。手の中からは花火が飛び出した。

 「トリックはマジシャンやマジックの種類によって違います。一枚選んでください」。李ウンギョルがカードを差し出した。ダイアモンドの10。カードを切る手つきを凝視してみたが「あれ、どうしてこんなところにこれが?」という言葉に目を向けると、さっき選んだカードを李ウンギョルが口で噛んでいた。「スペードの10」を選んでさっと手をかざすと、色が黒から赤に変わった。いくら凝視しようと視力は完全に無力だった。

 李ウンギョルは毎晩遅くまでアイデアを練り、練習している。花火や煙のマジックが好きで、服を焦がしたこともあるという。「マジックは総合芸術です。台本・照明・衣装・音響・振り付け・特殊効果・演技を一人ですべてこなすわけですから」

 李ウンギョルは常設のマジック劇場を建てる夢を持っている。「誰もがマジックを夢見るでしょう。約束に遅れたら空を飛ぶマジック、お金がなければ財布にお金が湧き出るマジック…。それを私が代わりに満足させるというわけです」。李ウンギョルが“夢の道具”をカバンに入れながら、にっこり笑った。

韓賢祐(ハン・ヒョンウ)記者
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