未年を迎える未年娘の日本人タレント ユミン

 日本人タレント ユミン(本名:笛木優子)は、新年最も注目される芸能人として挙げられている。1979年、日本で生まれたこの24歳、未年の娘は、未年の新年、韓国最高のスターの座に上ろうとしている。

 旧正月を控えた27日、ユミンに会った。未年の娘は温順で、午年はじゃじゃ馬だという言葉は、おもしろ半分に作り出した言葉ではないようだ。テレビで見せたイメージ通り、物静かで大人しそうだった。

 東京新宿通りの最先端のファッションを身にまとった日本女性はもちろん、お喋りに興じながら光化門(クァンファムン)を歩く日本人のイメージとも違う。

 化粧っ気なくしっかりした目鼻立ちや、細長い顔は「もしかしたら、在日同胞ではないか」と思わせるほどだ。

 「本当におかしいですよね。日本ではみんな私に『本当に日本人みたいな顔だ』と言っていたんですよ。なのに、ここに来ると『本当に韓国人みたいな顔』と言います」。

 とても流暢な韓国語だ。同行した車の中で流れていた曲を聞いて、「カウルドンファ(秋の童話)だ」と発音した時、彼女をあらためて見てしまったほどだ。

 日本での彼女は、かなり活発な方だったようだ。中高校の時はバスケット選手として活動するほどスポーツ好きで、高校3年の時、東京の「若者の通り」原宿で声をかけられ、キャスティングされたという。

 専門大を卒業した2000年春、日本で活動していたダンスグループSESと親しくなったのがきっかけで、韓国に関心を持つようになった。

 「語学を勉強したかったんです。中糟黷ノしようか、韓国語にしようかと悩んでいた最中に、偶然韓国の芸能企画会社と知り合って…」。

 『8月のクリスマス』、『シュリ』、『バンジージャンプをする』などの韓国映画を観ながら、少しずつ韓国を勉強した。その間、日本映画『ホタル』、『新雪国』にも出演した。

 彼女は「韓国に来るまで、韓国について全く知らなかった」という。「正直に言えば、韓国が中国の一部だと思ってました」。まさか…という表情となる記者に、彼女は「私だけじゃなく、日本の若者のほとんどがそうだ」とし、「韓国を米国の都市だと思っている人もいる」と話した。

 「ワールドカップ(W杯)以前まで、私の同年代の日本人が韓国について知っていることといえば、キムチ、焼肉、垢すりくらいでした」。

 しかし、彼女は韓国にキムチや焼肉の他にも、「パリパリ(早く早くの意)」があることを知らなかった。「こんなに早くデビューするとは思わなかったし、こんなに早く人気を得るとも思いもしなかった。2~3年間、韓国語を充分勉強して、デビューできればいいなと思っていました」。

 2001年9月、韓国に来て、延世(ヨンセ)大学語学堂に通っていたユミンを、MBCテレビは同年12月にドラマ『わが家』にキャスティング、聴覚障害者の女子大生役を任せた。

 その後、彼女はKBSドラマ『結婚しましょう』を経て、MBCのバラエティー番組『カン・ホドンの天生縁分』で大人気を博した。日本のポーカーチャンピオン役を演じるSBSドラマ『オールイン』には、2月6日から出演する予定だ。

 これまでに撮ったCMは7個、撮影を待っているのが2個だ。その間、スポーツ紙の1面にも度々登場した。ユミンは「何か一言を言えば、そのまま全部書かれてしまって、ずいぶん嫌な思いをした」という。

 「韓国は日本と正反対の国だと思います。良い点もあれば悪い点もありますね。両国が互いに学べば、本当に良い国になると思うんだけど…」。

 彼女は韓国の良い点として「正直なところ」を挙げ、悪い点としては「人々が堅すぎることと、適当なところ」を挙げた。

 彼女自ら考える人気の秘訣を聞いてみた。「きれいに見せようとせず、自然に振舞っているのを買ってくれたようです。それに、私が日本人だから、その分期待が高く、人気があるのではないでしょうか」。

 日本には旧正月がなく、ユミンは韓国人たちが旧正月に韓服に着飾り、セベ(旧正月に目上の人に行うお辞儀)をする風景には馴染みがないという。

 撮影のため、韓服に着替えたユミンは、何度もチョゴリのコルム(チョゴリの結び目)に触りながら、「韓服はとてもきれいだけど、着るのが楽ではない」とし、「それでも、着物よりはるかに軽くて動きやすい」と話した。

 ユミンは今後「映画とドラマを行き来しながら、良い作品に出演すること」が夢だという。「10年でも、20年でも韓国に住みたいですね。韓国人と結婚するつもりかと、よく聞かれるんですが…、ここでずっと住むとなれば、そうなるんじゃないでしょうか」。

韓賢祐(ハン・ヒョンウ)記者
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