シム・ヒョンソプ「自分のギャグに勢いがついたら戻ってきます」

 コメディアンのシム・ヒョンソプ(33)は、学生時代に「62位」と呼ばれた。文字通りクラスの62人中“びり”だったからだ。ソウル芸術大学の視覚デザイン学科もやはり辛うじて入学した。

 しかも「学校には行ったが授業には出なかった」という。シム・ヒョンソプは1993年というデビュー時期に比べ、スターダムにもだいぶ遅れてからのし上がった。周囲は彼に「びり万歳」という祝辞を惜しまなかった。

 そんなシム・ヒョンソプが、自分をスターに育ててくれたKBS第2テレビの『ギャグコンサート』を卒業した。これに合わせてSBSテレビの『ラブトゥナイト』にも来週から出演しない。一体、“びり”に何が起ったのだろうか。

 16日午前、シム・ヒョンソプは済州(チェジュ)行きの飛行機の出発時間を何時間か延ばしてインタビューに応じてくれた。

 「済州にいる叔父の家に行ってちょっと一休みして来ようと思います」。インタビューの終始、悪ふざけした口調は、以前とまったく変わらず、聞き手を楽しませる才能もそのままだった。

 「ギャグコンサートだけで3年半も出演しました。『傲慢だ』、『人気が出たから降板するのか?』という方々もいますが、今となっては『ギャグコンサート』に残ること自体が無礼だと思います。ガタが来ているから一休みする、ただそれだけの理由ですよ」

 シム・ヒョンソプは「ふた月ほどはゆっくりするつもり」という。所属事務所のコメディアンたちと3月末まで全国を回りながら行う週末公演は今後も続く。

 今年の新学期からはミョンジZに新設されたコメディー学科で「アイディア開発学」と「個人芸特講」という科目の講義をすることになった。

 「なので、ただ単に遊びに行く訳ではないんです。単にゆっくりしているだけでアイディアが浮かぶと思いますか?大学路(テハンロ)で演劇も思う存分観て、ヨーロッパに行って大道芸も見たいです。米国がトークショーの元祖なら、ヨーロッパは“芸の本場”です」

 シム・ヒョンソプはコメディー学の講義も初回だけを教室で行って、それ以降はすべて野外授業を行うつもりだという。「現場を直接体験してこそ、アイディアも浮ぶ」という持論からだ。

 シム・ヒョンソプをはじめ同じ所属事務所のコメディアン11人が『ギャグコンサート』を降板することについてもいろんなデマが流れた。昨年末に他の所属事務所の“カルガリ三兄弟”の朴ジュンヒョンが『KBSコメディー大賞』を受賞したことに対する腹いせという解釈がもっともらしかった。

 「口惜しくないといったら嘘になります。『ギャグコンサート』初のコメディー大賞なのに…一休みしたいという思いとそんな口惜しさがちょうど一致したんだと思って勘弁してやってください」

 『ギャグコンサート』の中の「サバンナの酋長」で人気が爆発したシム・ヒョンソプは、最近やや「押されぎみ」な印象を与えていた。胸元を見せるコーナーもマンネリ化した。「最近は『濃い』キャラクターが増えてきたので…。胸元を見せるくらいでは笑ってもらえず、ズボンを下げるくらいしないと厳しい状況です」。シム・ヒョンソプは「新人に追い越されるのが怖いわけじゃない。そういう勝負には自信がある」とも語った。

 ここ数カ月、シム・ヒョンソプは新聞の政治・社会面をしばしば飾った。先の大統領選挙でハンナラ党の李会昌(イ・フェチャン)候補の応援演説を各地で行ったためだ。盧武鉉(ノムヒョン)候補を支持した歌手のユン・ドヒョンと神経戦を展開して「芸能人代理戦」の主役とも言われた。友人たちにも「何でそんなことにかかわるのか」と言われたという。

 「とても辛かったです。ですが、父が亡くなった時に母が私たちに言った『お前たちの人生最大の逆境は終わった。これから先、これ以上辛いことはないよ』という言葉を思い出して、耐えることができました」。シム・ヒョンソプの父親は1983年のラングーン爆弾テロ事件で殉国した沈相宇(シム・サンウ)元民主正義党総裁秘書室長だ。

 「大統領選挙戦に参加することを伝えた時、母は反対しました。父のことをいろいろ言われるに違いないからと。でも全く後悔していません」。シム・ヒョンソプは「自分にできることだったし、自分の人生に書かれていた脚本だと思って選挙運動に参加しただけで、政治に関心があるわけじゃない」とも語った。

 「初めて『ギャグコンサート』に出演した時、私のギャグには勢いがありました。ガス欠する前に一息入れようと思って。

また勢いがついてきたら、戻ってきます」

韓賢祐(ハン・ヒョンウ)記者
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