ファン・シンヘバンド「売れる音楽は作らない」

 1997年5月第1週、MBCテレビの『人気歌謡50』に“中年の新人”2人が登場した。その名は「ファン・シンヘバンド」で、歌う曲は『チャンポン』と言った。

 そして、見たことも聞いたこともない振り付けとスタイルで、まるで別世界の人のように歌を披露した。このバンドがいつも「『人気歌謡50』で栄光の43位に入った」と自慢するまさにその“事件”だ。その後、テレビで彼らの姿を目にすることはなかった。

 「私たちの音楽は音楽を借りた行為芸術だと言えます。バンドを組んで曲を作って、舞台で演奏することすべてが一つのパフォーマンスです」。最近3rdアルバム『ヒヨコ鑑別師金氏の粟ロマンス』をリリースしたファン・シンヘバンドの金ヒョンテ(37)の言葉だ。彼は今、一人でバンドを守っている。つまりは“ワンマンバンド”だ。

 “インディーズバンドの元祖”のファン・シンヘバンドは、30歳の金ヒョンテとチョ・ユンソクが95年に結成し、97年に1stアルバム『万病通治』をリリースしてデビューした。今回のアルバムはすべての作業と演奏を金ヒョンテが1人で行った。

 「芸術を大衆レベルにまで広げようとバンド名にタレントの名前を付けて幼稚な歌詞とメロディーを創ってきたが、不思議なことにそうするほど更に前衛的な音楽になるんです」


 弘益(ホンイク)大の西洋画学科を卒業後、インスタレーション作家として活動した金ヒョンテは、ファン・シンヘバンドを結成し、自らが“マルチメディアアーティスト”であることを宣言した。

 いわゆる“遊園地音楽”と呼ばれる幼稚なサウンドと歌詞に、奇怪な舞台衣裳で90年代韓国キッチュ文化の代表格として浮上したかと思えば、金亜羅(キム・アラ)の演劇『ハムレットプロジェクト』のハムレット役で舞台にも立ち、映画『なせば成る』の音楽も担当した。

 「私は画家であり、作曲家であり、俳優でもあり、そのどれでもないかも知れません。それを敢えて区別するのは意味のないことですよ」。

 金ヒョンテは「アルバムがたくさん売れたら嬉しい」と言いながらも「売れる音楽を作っているわけではない」と語った。彼が選んだ道はひたすら“独創性”、それだけだそうだ。

 「どの音楽とも似てはいけないという強迫観念がありますね。人気のあるジャンルを追う音楽を“インディーズ”とは言えませんからね」。

 新しいアルバムは意外に大人しく始まる。あえてジャンルを決めるとすれば、インダストリアル系の重みのある曲だ。

 しかし、それもつかの間、例の「演歌っぽさ」が現われてしまう。「韓国の大衆音楽の中では唯一、アイデンティティーを持っているのが“演歌”じゃないですか。私にも“演歌”の血が流れているみたいなんですよ」。

 アルバムは「セマウル金庫のミス金」を片思いする「金さん」のストーリーから成っている。11番目の曲『いただきます』は、小説家の李外秀(イ・ウェス)が「すべての血管が透明になる感じの曲」と評価した。

 「ファン・シンヘバンド」の新たな音楽の開拓は今後も続く見通しだ。次のアルバムには、また、どんな人物が参加するか分らない。老若男女を問わず“マニア”も相当できた。もちろん、コンサートに来て、「ファン・シンヘはどこにいるんだ?」と聞く人は未だいるという。

韓賢祐(ハン・ヒョンウ)記者
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