韓国の現代政治史を専攻した陳徳奎(チン・ドクギュ/64)梨花(イファ)女子大学教授は、30~40代にとっては80年代の必読書『開放戦後史の認識』の筆者として記憶されている。
彼の書いた論文『米軍政の政治史的認識』は、植民支配から開放された直後、米国の役割と現代史に対する批判的認識を拡大するのに重要な役割を果した。
そんな彼が、三国時代以前の古代部族社会から朝鮮時代の政治史までを扱った『韓国政治の歴史的起源』(知識産業社)を、600ページを超える分厚い分量で出版した。
陳教授は同書で、「仏教や儒教など統治イデオロギーは、統治勢力の名分でだけ存在しただけで、構成員の生活や支配勢力と支配される勢力層の有機的統合のためには機能しなかった。また、支配勢力の交代も、数千年間、ほとんど行われなかった」など、韓国史研究者ならびっくりするような発言を並べている。
また、不正腐敗、家臣、派閥、分党、事大主義など、韓国政治の否定的現象は、前近代の政治的伝統から始まったと主張する。
-現代政治史を専攻した人として、部族社会にまで遡る前近代の政治史に挑戦した理由は?
「開放直後の現代政治を研究しながら、初めは日本の植民主義と米国の影響という二重的要素によって民主主義が歪曲されたと考えた。しかし、研究を繰り返しているうちに、私たちの中に内在化されたメカニズム、政治的伝統が作用しているということが分った」
-韓国の前近代社会を「理念の王国」と規定し、この「理念の過剰」が日帝(日本帝国主義による植民支配)当時、民族運動陣営と開放直後の各政派の分裂にまでつながったと説明しているが。
「祭儀国家として出発した古代国家では、神話と理念が発展した。現実よりは理念の純粋性を追求した。したがって、絶えず党派が生まれた。理念が渡ってきた所を追従する事大主義も強かった。朝鮮時代の性理学は、現実よりは当為を絶対視した、実践の欠けた観念論理だったため、統治者たちは自己の合理化に止まっていた」
-最近の政治勢力は、理念の過剰よりは、理念の不在がさらに目立つのではないか。権力を獲得するためには、理念とは関係なく、離合集散を行っている。
「理念の過剰が歪曲された形体で現われているのではないか。理念そのものが実現不可能な観念であるため、それに充実するよりは、自己合理化のために勝手に利用している」
-前近代の政治をあまりにも否定的に見るのではないか。
「私は徹底した大韓民国主義者だ。正しい国家にするためには、われわれの限界を正確に評価しなければならないと考える。歴史学の側面での韓国政治史の研究は、客観的な解釈よりは肯定的な側面だけを見ようとしている。世界の他の地域と比較する見方が弱いと考える」
陳教授は、政治学理論でもって再構成した韓国政治史は、もう一つの観点を提供することができると考える。来年3月には19世紀と旧韓末の政治史を扱った『韓国の近代性と政治変動』(仮題)と米軍政と自由党時代を扱ったもう一つの著書を出版する予定だ。