映画看板師の李テドンさん「映画看板はやはり筆で描かなきゃ」

 「絵で描いた映画看板の時代はもう終わったって?とんでもない。映画看板師はまだ生きているよ」。

 18年の経歴を誇る映画看板師 李テドン(39)さんの体からは、ペイントの匂いが香水のように滲み込んでいた。京畿(キョンギ)道・一山(イルサン)の田園住宅に住む李さんは、最近暇さえあればジョギングと水泳で体を鍛えている。『レッドドラゴン』や『夢精期』など映画看板20コあまりを毎週描くためには、体力が必要だからだ。

 李さんは現在、京畿道・坪村(ピョンチョン)に位置するキムスシネマ(8館)やソウル・方背(パンべ)洞のシネメックス(3館)など、ソウルと首都圏の大型マルチプレックスシアター6カ所(映画館数28コ)で映画の看板を描いている。

 筆やペイントで描いた映画看板を扱う映画館はソウルでたったの8カ所だけ。90年代、カラー写真を大型の布地に印刷するデジタルプリントが登場してから、絵の看板が段々その居場所を失ったためだ。このため、ソウル地域だけで100人あまりに達していた映画看板師の数も、最近は10人以内に急減したという。

 「私が初めて仕事を習う頃は、映画の看板が映画館の自尊心でした。観客は看板を見て、自分の観たい映画を決めた。だから、映画館の主人は、腕前の良い映画看板師を獲得しようと、一般の会社員の10倍を超える報酬を提案したりしたものです」。

 時代の流れとともに、李さんの先輩や同僚のほとんどは、値段の安い「デジタル看板」におされ、仕事を辞めたり、転業をした。映画の看板を固執していた伝統の映画館も、最先端の技術を整えた大型のマルチプレックスシアターの攻勢におされ、そのほとんどが廃業となった。

 李さんも例外ではなく、仕事が途絶えた4年前に一度、転業を考えたこともあった。しかし、マルチプレックスシアターの時代にも、映画看板師は充分生き残れると考えた李さんは、当時、坪村に新たに開館した映画館を訪れ、社長に「写真の看板を秩序なく並べるよりは、色調の合った絵の看板をかければ、統一感と強烈な印象を残すことができる。私を信じて仕事を任せて欲しい」と説得した。

 半信半疑の社長をようやく説得した李さんは、マルチプレックスシアターの映画看板に挑戦した。結果は成功だった。観客も「写真より、絵の方がはるかにいい」、「これ、写真ではなかったのか」としながら関心を示した。

 また、「腕前が良い」という噂が立つと、大型マルチプレックスシアターから看板の依頼が殺到し、最近は息をつく暇もないほど忙しいという。

 「80年代まで、外国の国賓が訪問すると、映画看板師たちが描いた大型の肖像画がソウル光化門(クァンファムン)の世宗(セジョン)文化会館に掲げられたものです。80年代の先輩たちが描いた映画の看板が残ってないことが、一番残念です。時代が変わっても、青春を捧げた映画看板師の伝統をなんとか受け継がせたいですね」。

金旻九(キム・ミング)記者
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