韓国女性学界の「生みの母」張必和教授

 「他の学問に比べれば、女性学の20年は短い時間なんです。でも、梨花(イファ)女子大学が建てられて、女性に対する教育を始めた時期を起点とすると、広い意味での女性学の歴史は116年にもなります(笑)」。

 梨花女子大学に女性学科が誕生して今年でちょうど20周年を迎えた。1982年、女性学の修士課程を開設して以来、84年に国内初の女性学科専任教授として梨花女子大学に赴任し、130人の修士と3人の博士を輩出した張必和(チャン・ピルファ)教授(51/梨花女子大学大学院長)は感無量な表情だった。

 「誰かは、女性学を西洋から輸入してきたと言いますが、実は、この地で生まれ育った女性たちの必要によって誕生したのだと見るのが正しいでしょう。女性学科が発足する前から、学部の教養科目として女性学を教えていたのですが、受講申請の日には午前5時から学生たちが長蛇の列を作るほどでした」。

 張教授が初めて赴任した時は33歳の「幼い」教授だったが、今や彼女の髪には白髪が混じっている。初期は女性学に対する認識が低いためか、学校の内外で困難なこともたくさんあったという。

「女性学も学問なのかという皮肉が最も多かったですね。デモ隊の学生がたくさん集まっている、女性学科がデモを主動しているという誤解も受けました。一般の人たちからは、韓国の伝統文化や美風を害すると批難されたりもしましたね」。

 それでも遣り甲斐は大きかった。張教授が梨花女子大学に赴任した84年、韓国女性学会が結成された。女性学が学問として認められはじめたことから、乱ォ学科の設立が全国の蜉wに徐々に拡大した。女性学が教養科目として採択されていない大学は、もはやほとんどいない。女性学科を開設した大学院も11校に上る。

 「80年代末、強姦や性暴力に関する論文が一挙に溢れ出ました。これを基に、女性学科出身の崔永愛(チェ・ヨンエ)さんが中心となって90年に発足させたのが、韓国性暴力相談所です。性と関連した談論がまったくなかった時期に、名前からしてぞっとするような相談所が誕生したものだから、人々の話題になりましたが、結局、彼女らが先頭に立って、性暴力特別法を制定しました」。

もちろん、まだやらなければならないことは山積みだ。98年、女性差別撤廃委員会に出席し、韓国の報告書を発表した時は、冷や汗を流したという。

 「高等教育を受けた女性がこれほどまでに多いのに、公的の領域で働く女性の数はなぜ3~5%台に止まっているのかという質問を受け、返答に苦労しました。過去10年間、女性のための多様な法制度と政策が作られましたが、現実との間隔は依然として大きいという事実は、韓国の女性学と女性運動が抱えている最も大きな宿題です」。

 今月26日には、150人あまりの女性学科の先輩、後輩たちが集まった中、創立20周年記念の学術祭が開かれた。

金潤徳(キム・ユンドク)記者
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