「自分の本質は詩人」全集を出版した金芝河氏

 2002年に入ってから詩人 金芝河(キム・ジハ/61)が再びスポットライトを浴びている。「鄭芝溶(チョン・ジヨン)文学賞」、「萬海(マンヘ)文学賞」などを続けて授賞し、金芝河自らも「前回の詩集から5~6年間待っていてくださった読者の方々に奉げます」とし、新しい詩集『花開』を出した。そして実践文学史では200字原稿用紙7500枚に哲学、社会、美学思想などをまとめ、『金芝河全集』(全3巻)を出版した。

 李文九(イ・ミング)、申庚林(シン・キョンリム)、白楽晴(ペク・ナクチョン)、白基玩(ペク・キワン)、李富栄(イ・プヨン)、金洪信(キム・ホンシン)、李鍾瓚(イ・ジョンチャン)、金敏基(イ・ミンギ)、安致環(アン・チファン)など、各界の関係者が参加した25日の全集出版記念会は盛況だった。10年近い投獄生活を終え、1980年に出所した金芝河が「生命運動」と「律呂思想」を語った時、多くの人々は金芝河を括弧でくくった。しかし時代が変わったのか、それとも金芝河が変わったということか・・・。

 この質問に対し金芝河は「私は何も変わっていない」と簡単に答えた。ただし、「“我田引水(自分の田に水を引く、すなわち自分に有利なようにする)かもしれないが、最近の文学的指向と私の談論に親縁性はあるようだ」と語り始めた。

 この「哲学的詩人」が見たところでは、最近の韓国社会は幾つかの現象が複雑になったが、それを貫通する中心的談論はない。人々は不確実さに囲まれた中で、誰かがはっきりした方向を示してくれることを渇望している。生命、生態、環境というものが多くの人々にとっての主な関心事となり、極左と極右がどちら共非難を受け、左と右を抱え込むのが最近の流行となっていると語る。

 極力、長い話を避けようとしている金芝河だったが、「80年代のはじめ、『第5共和国打倒で忙しい時に何を言っているのか』と私に苦い言葉を投げた人々が、今では皆、環境主義者、生命主義者、文化主義者になっていた」という言葉を付け加えた。

 「あなたが提起した談論にはまともな実証的論文や検証された哲学がないことを指摘する学者が多い」という指摘が挙がると、金芝河から「私はそんなに馬鹿ではない」という答えがすぐに飛び出した。「私が書いたのは理論ではなく、理論を語る人々にインスピレーションを与え、そのような人々を触発するための初級談論」だと語る。

 金芝河は「メキシコのノーベル文学賞受賞者のオクタビオ・パスも数十冊の散文、思想集を出したが、そこに論証や実証はない」とし、「パスがそのような本を出すのは構わないが、私は倫理に反するということか」と問い返した。また、「厳重に細かく典拠を示しながら論文を書こうと思えばできないことはない」とし、「ただし、そうするのは私の役割ではないと思っているだけなので、学校にいらっしゃる方々は“飯の種を奪われる”ことを心配しないでもいいでしょう」と複雑な心境の程を語りもした。

 彼は「私は私たちの生き方に相応しい新たな道を探したいという人間であるだけ」としながら、「他人が“変節”だと皮肉ろうが、これからもこの道を歩んで行く」と語った。一山(イルサン)にあるオフィステルで、1~2時間ほど蘭の手入れをし、読書や執筆、散歩などをして一日を過ごすという金芝河は「もう、集団に入って行って働くつもりはまったくない」と話す。

 金芝河は自身について“政治的詩人”、“哲学的詩人”などと詩人の前に付けられる形容詞についても負担を感じるという。「4、5年前だったか、山から下りてきて、海の上に浮かんだ月を見ながらふと思いついたことがある」といい、「私は哲学家でも、思想家でも、革命家でもなく、本質は詩人だということを悟った」と語った。

 金芝河は「多分、何年かはこの社会の後輩たちに少しでも役立つことができるかも知れない」としながら、「その後は田舍にでも行って、土作りの家に住み、詩でも書きながら余生を送りたい」と締め括った。

魚秀雄(オ・スウン)記者
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