「李滄東(イ・チャンドン)監督の映画『オアシス』ではの重症の心身障害を持つ女性が自分を強姦した犯罪者と恋に落ちます。金基徳(キム・ギドク)監督の『悪い男』でも女子大生が売春女性に転落します。男性の“強姦神話”から一歩も抜け出せずにいる韓国映画界はもう懲り懲りです」
ベネチア映画祭で監督賞を受賞し、称賛を一手に受けている映画『オアシス』が徹底的に攻撃される。問題作として話題を呼んだ『悪い男』も例外ではない。李榮蘭(イ・ヨンラン)氏の一人劇『私ひとりの部屋』 の最終練習がたけなわの大学路(テハクロ)の小さな地下練習室。韓国文化界の象徴とされている作家やトップリーダーたちの作品が演劇の台詞を通じて、フェミニズムの観点でもって痛烈に批判される。
観客がこのような演劇の内容にどのような反応を見せるか、また、文化界ではどのような反響を呼ぶのか、関心が集まっている。
初演からちょうど10年ぶりの上演となる『私ひとりの部屋』(10月28日~11月3日/大学路・インケールアートホール)は、英国の小説家、バージニア・ウルフの原作を李氏が演出して自ら演技する舞台。93年の初演の時には観客五万人を動員しながら8カ月間ロングランし、話題を呼んだ。10年ぶりの舞台では、登場人物と事件を「アップデート」した。
「女性のための様々な制度が新たに制定されました。しかし、韓国社会は依然として“マッチョ(男性優越主義者)”の世界です」
この10年間の社会雰囲気の変化にもかかわらず、李氏の目に映る韓国社会は依然として性差別問題が溢れる世界だ。李氏が「演劇」という装置を通じて批判の鋭い刃を向ける相手は韓国文化界の大スターたちだ。
博識と毒舌で知られる哲学者 金容沃(キム・ヨンオク)氏も、女性の性に男性を対等な価値を与えたと自負する小説家の馬光洙(マ・グァンス)氏も李氏の毒針から逃れることはできない。彼らも同じく「進歩」の衣をまとった「家父長的な男」に過ぎないというのが李氏の見方だ。
しかし、男性に対する攻撃はこの演劇の一部に過ぎない。李氏が本当に問題にしたいのは「女性に苛酷な」社会そのものだ。「韓国の歴史は、女性が痛められることを楽しんできました。未来のある若い女性が首をつってはじめて烈女門(烈女を顕彰するために御上が立てた赤い門)が立ち、極寒に凍死してこそ孝婦として称えられました。女性は待つ存在、忍耐する存在、自ら命を絶つ存在としか認識されなかったのです」
公演の後は観客と討論をする。10年前の討論時間には、男性らが「我々も悔しいことがたくさんあるのに、なぜ女性の視点でしか見ようとしないのか」と不満をぶつけたりした。
李氏は、「意図的に偏った観点からみる、一種のショック療法」と話す。李氏は、「若い女性たちがこの舞台をどう受けとめるかが一番の関心事」と話した。
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