文化勲章を受賞する韓服デザイナー・李リジャさん

「胃がんになった時“もう死んでも悔いはない”と思ったほど、一生を後悔なく働いてきました。今回の文化勲章も一心不乱に働いてきたことに対する評価だと思います」

 20日の「文化の日」を迎え、政府から花冠文化勲章を授与されることになった韓服(韓国の伝統衣装)デザイン界のパイオニア、李リジャ(本名:李殷妊(イ・ウンイム/67)さんの感想だ。

 李さんはこの40年間、韓服を作り、研究をしながら、韓服の現代化を試み、世界に韓国の伝統衣裳である韓服の美しさを知らせるため、先頭に立って活躍してきた。李さんは韓服が実用的ではないと言われる中、韓服に“Aライン(下の段にいくほど広がるスタイル)などの美的感覚を取り入れ、新たなスタイルと需要を作り出した。

 李さんが韓服作りの世界に飛び込んだのは偶然な事からだった。夫が経営する学校が資金不足のために不渡りを出し、家計の状態が悪化したのがきっかけだった。生活苦を減らすために李さんは64年、踏十里(タプシムリ)に3坪の韓服店を出して、裁縫の仕事を始めた。漢方医だった父のチョゴリ(韓服の上衣)を作ったこともあり、裁縫には自信があったのだ。

 李さんの腕が口コミで広がって客が押し寄せるようになり、1971年「新しい村汎国民服装コンテスト」で大賞を受賞し、本格的にその名が知られるようになった。李さんは1975年、海外に目を向け、ハワイやロサンゼルスなど、米国で初の海外ファッションショーを開いた。

 李さんは韓服研究にすべての力を注いだ。70年代には世界的なデザイン学校の一つである日本の文化女子大学の夏季セミナーに参加し、世界最先端の流行とパターンなどを学んだ。また、海外へ行く度に、最高級レストランを歩き回り、先進国のハイセンスな人々の着こなしと流行の色などをチェックしてきた。世界各地に韓服の美しさを伝えるために、1982年スイス国際貿易博覧会に参加し、1985年には南米7カ国を回るファッションショーも開催した。

 李さんは2000年に胃がんを告知され、人生の試練を受けた。しかし李さんは坑がん剤治療のために髪の毛がすべて抜け落ちてしまうという苦しい状況の中でも、針を手放さなかった。当時、病床で作った絹織物のキルティングのロングスカートを、大韓民国伝承工芸大賞で入賞させた。李さんは「がんに勝つために、いつも以上に集中して作った」と語った。

 李さんは結局、がんを克服し、再び司諌(サガン)洞の「李リジャ韓服」に戻ってきた。李さん「水原(スウォン)に韓服の短期大学を建てるのが夢」としながら、「元気なうちにやるべきことをもっと一生懸命やりたい」と語った。

孫檉美(ソン・ジョンミ)記者
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