在日同胞の建築家、伊丹潤(65)氏が4日午後、ソウル仁寺(インサ)洞に足を運んだ。通りを歩いていた彼は、常連の古美術の店に立ち寄り、お茶を飲んだ。伊丹氏は近く、韓国の代表的な伝統通りである仁寺洞に自分の足跡を残す。彼の建築の魂を込めた「画廊 学古斎(ハッコジェ)」は、早ければ来年2月、その姿を現す。敷地面積70坪余り。地下1階、地上4階の建物。この小規模の建物がソウルの伝統通りの象徴である仁寺洞の風景の変化に、いかなる影響を及ぼすか、関心が集まっている。
ラファエル・ビニョ-リの鐘路(チョンロ)タワー、ウィリアム・パドソンが基本設計をした東部金融センター、マイケル・グレイブスが指揮を取る米国大使館…。ソウルは外国のスター建築家の角逐の場だ。その流れが仁寺洞を放っておくわけがない。仁寺アートセンターはフランスの建築家、ビル・モートが設計した。サムジが新たに造成する「ササムジ工芸通り」の設計には、米国の建築家 ガブリエル・クロイッツが参加する。そして、もはやスター建築家となった伊丹潤が新たに加勢する。仁寺洞を愛する人々が望もうが、望まないが関係無く、仁寺洞は既に変化の途上に立っているのである。
伊丹潤氏は「仁寺洞は全世界に唯一、仁寺洞にだけ存在する」という言葉で、仁寺洞が長らく自分の心の中の空間であったことを表した。「過去30年間、ここを一生懸命訪ねました。古風さとモダンが共存する“仁寺洞らしい”建物を作りたいですね」
建物の外観は明るい色の木材を使う。横縞模様が“包容”のイメージを生かす。丸い形のガラスの筒が4階の建物を貫通し、照明と換気の役割をする。白一色の内部にはエレベーターがない。「騒音が嫌い」という理由からだ。
キーワードは「暖かさ」。「ガラス、鉄筋、メタルの素材は仁寺洞には似合いません。最近の建物を見てください。全部、機械的じゃないですか」
「ならば、仁寺洞に建てられた現代式の建物のうち、気に入るものはないのか」と聞くと、彼はずいぶん考え込んでから「ない」と答えた。「数年間、仁寺洞に相応しい建物の設計を頭の中の引き出しに入れてきたので、実際のスケッチは3日で終わりました」
仁寺洞は伊丹氏が韓国の古美術を勉強し、観賞し、収集した空間だ。日本一の茶人、千利休の庵で韓屋に対する資料に接した彼は、韓国建築の勉強に飛びついた。『朝鮮の民話』、『朝鮮の建築』などの本を著述している間、ドゥレ、ホバン、木浦ジップなど、仁寺洞に常連の店もできた。
ところが、彼が韓国に初めて進出した1980年代の初め、彼の温陽(オンヤン)民俗博物館・生活文化館の設計をめぐり、論議が起きた。韓国の情緒を生かす目的で、土で一々れんがを焼いて作ったのだが、その形が“日本風”だという非難が殺到したのである。その後、遠く漢拏(ハンラ)山の風景と調和を成した済州(チェジュ)道のフィンスクゴルフ場クラブハウス(98年)、京畿(キョンギ)道・城南(ソンナム)市・クムト洞の住宅(2001年)などを設計した。先日オープンした済州の「ポドホテル」は、「オルム(火山岩の一種)に似た構造が出色で、目にする人をあっと言わせる。
仁寺洞は変化に対する声が高い一方で変化に敏感な空間だ。時には、可笑しな“変則”も登場する。昨年8月、仁寺洞に進出した米国のコーヒーチェーン店「スターバックス」は、民心を意識して看板をハングルで作り、瓦などを使って内部を“韓国風”に飾ろうとした。
外部の人の視点がよい道案内になり得るという意見もある。「韓国人の型にはまった伝統的な解釈よりは、外国人の新たな接近方法を期待して、米国の建築家を招聘した」(サムジの関係者)。韓国と日本の境界を行き来する建築家、韓国に対する審美眼を持っている“異邦人”伊丹潤氏の「仁寺洞実験」は、だから、さらに期待を集めている。