ダウン症候群の娘を育てる漫画家チャン・チャヒョンシルさん

 13歳のウンへの頬が赤く染まった。ソウル巨餘(コヨ)洞のダウンセンターに到着するまでしきりに動いていた口も急に静かになった。ジヨン(15)がいるからだ。ダウンセンターの職業訓練生に混じって熱心に仕事をしている中学生の少年だ。後姿を見ただけですぐにジヨンがわかったウンへは、しばらくもじもじしていたが、手に持っていたゼリーをジヨンに投げるように渡し、素早く逃げてしまった。「うわあ~!」作業場にどっと起こる笑い、恥ずかしげに頭をかく思春期の少年。この日3度目となるウンへとジヨンのデートはこうして始まった。

 ダウン症候群の少年少女のほほえましい出会いは、ウンへの母で漫画家のチャン・チャヒョンシル(38)さんの計らいだ。

「異性に対する好奇心が湧いてくる年齢でしょう。互いに気遣い、本当に仲がいいんですよ」

 女性の健全な性を扱った漫画『色女列伝』を出した漫画家チャンさんは、フェミニスト運動家だけでなくダウン症候群の子を持つ親の間でも有名人だ。「子どもが思春期に差し掛かり、異性に好奇心を示すようになると、親は困惑します。でも親が先に立って健全な交際を手助けするなら、障害児が味わいやすい孤独から抜け出すのに力になります」

 1990年冬、ウンへが生まれた時のチャンさんは、自分を世界でもっとも不幸だと考えた。染色体異常で新生児1000人に1人の割合で生まれるというダウン症候群の赤ちゃん。子どもが生まれてから家庭の不和も深刻になり、夫とも別れた。幸い大学で美術を専攻したため、イラストを書く仕事で生計を立てた。だが女手ひとつで子どもを、それも障害児を育てるのは並大抵のことではなかった。ひと月100万ウォンに達する特殊教育費用もばかにならず、出産後2週間で仕事に復帰した。障害を抱えた子どもを安心して預けられる保育施設がなく、子どもを背負って職場を転々とした日々。そんな中希望を与えてくれたのが奇しくも“漫画”だった。

「ダウン症候群の子を持つ親が読む会誌に『ウンへの一日』を漫画にして載せたんです。素人同然でしたが、感動やメッセージを伝えられる漫画に私の方が夢中になって」

 『ウンへの一日』を契機にイラスト業から漫画に本業を変えてしまったチャンさんは、雑誌や新聞、インターネットに機会のある度にウンへを素材にした漫画を発表した。ダウン症候群を患う少女と絵描きの母親が日々体験する小さなエピソードの数々。障害という枠の中に囚われたウンへと自身が、世間と楽しく正直に疎通する窓口だった。

「生の中心がウンへと私なので、どこに行っても恥ずかしくありません。ウンへと市内を闊歩し、人の集まる席に堂々と出かけ、暇を見つけては旅行に行きます。子どもも自分が他の人と違うということを受け入れるようになりました」

 1年前チャンさんはウンへのためにソウルを離れた。落ち着いた先は京畿(キョンギ)道楊平(ヤンピョン)。全校生徒34人のソジョン小学校チョンベ分校の児童になったウンへは、以前よりも活発になった。明るいどころかやんちゃなほど。水泳はもちろんテコンドーもなかなかの腕前だ。一番好きなのは絵画。庭にイーゼルを立てて干してある洗濯物や犬小屋、草花を描く。チャンさんは週に1回ウンへの学校に行き、子ども達にマンガの描き方を教え、おてんばなウンへと仲良くなる方法もそっと耳打ちする。

「最近お母さんが忙しそうにしているので嫌いだって。でもその一方で母親が自慢なようです。私は障害児の親が子どもに対する罪責感で自分の人生を諦めてしまうのは、望ましくないと思うんです。自分がいることで親が懸命に生き、沢山笑って幸せそうにしていると感じさせてあげるのが重要なのではないでしょうか」

 ウンへのことで絶望することも多いが、その分だけ再び立ち上がる知恵と根気を養うという母親。思考が素直で憎いとか恨むという感情もすぐに忘れてしまう子どもの前で、むしろ自分を恥じることがあるというチャンさんは「普通の人の半分の寿命ですが、子どもが自分の力で障害を乗り越え、幸せな人生を歩めるよう手助けするのが親の務め」と話した。

金ユンドク記者
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