アルコール中毒を克服し、体験記を出した許槿神父

 カトリックの神父たちは酒に強い。職業別に酒量をランク付けるなら、上位に入るだろう。そのため、神父と酒にまつわる話は多い。

 カトリックアルコール司牧センター所長の許槿(ホ・グン/50)神父の場合はその中でも格別だ。酒飲みどころかアルコール中毒になり、病院で治療まで受けているからだ。酒の席で焼酎8本、ビールは24本は飲まないと気の済まない許神父だったが、酒によるトラブルが増え、信者の抗議が集まるようになると、周囲の助けを受けてなんとか酒を絶つことができた。

 アルコール中毒の泥沼から必死に抜け出し、いまだにその泥沼から抜け出せずにいる人々を助けている許神父が最近、「私はアルコール中毒者」(カトリック出版社)を出版した。また、今年6月からローマカトリック教ソウル大教区が発行する平和新聞に「許槿神父のアルコール脱出記」を連載している。

―本のタイトルが刺激的(?)だが。どういう内容なのか。

「私のアルコール中毒体験と克服記、アルコール中毒の症状と結果、断酒生活ガイドなどが中心になっている。付録として自己診断方法と相談できる機関なども収録した。アルコール中毒の危険性をより多くの人に知ってもらおうと、私の経験を率直にまとめた」

―もともと酒はよく飲んだのか。

「違う。神学校時代にはほとんど飲まず、司祭を受任してからも、ソウル敦岩(トンアム)洞聖堂の補佐神父と金寿煥(キム・スファン)枢機卿の秘書を務めていた時はまだ1、2杯飲む程度のものだった。それが1982年軍に入隊し、海兵隊の従軍神父として配置されてから酒との悪縁が始まった。若くて体力にも自信があった上、一度酒を゙ととことん飲む海兵隊の気質も加わって、酒量が急激に増えた。除隊後、一線の聖堂の主任神父を務めながら飲酒の習慣は悪化していった。酒好きな信者たちと酌み交わしていると、焼酎50杯を越えるのはザラで、ミサの後、一人で飲むことも多かった」

―酒に呑まれた話も多いようだが。

「いつだったか、早朝ミサを終えてヘジャングク(酔い覚ましのスープ)の店で酒を飲んでいたが、止めどなく飲んでふと外を見ると、日が沈もうとしていた。また、朝から酒に酔って寝ていたら、前日一緒に酒を飲んだ信者が来て『神父さんが酒の席で信者を殴って病院に運ばれた』と教えてくれたこともあった」

―それでも神父を続けることに問題はなかったのか。

「昼も夜も酒とともに生活していると、酔っ払ったままミサに出たり、ミサの時間に起きられず補佐神父が代わりにミサを奉献したこともあった。おのずと信者の不満がくすぶり、投書が舞い込むようになった。ローマカトリック教の指導部に呼ばれてお叱りも受けたが、聖堂に到着するとすぐに酒に手を出した。ご飯の代わりに酒を飲む生活が続き、肝臓と胃を痛めて体重が46キロまで落ちた」

―それでも酒を完全に断つのは大変だったと思うが。

「1998年はじめ、ソウル大教区の金玉均(キム・オクキュン)補佐主教がアルコール中毒の治療を受けなさいと勧めた。『まだ若いのに人生を捨ててしまうのか』という切実な忠告を受けて決断を下し、知り合いのいないところを探して、光州(クァンジュ)の聖ヨハン病院に入院した。5カ月に及ぶ自分との戦いの末、やっとのことで酒を断つことができた。“酒か司祭職か”二者択一の岐路に立たされたと感じた。特に、私がアルコール中毒を克服できるよう祈祷してくれた母親を思い、決意を固めた」

―アルコール中毒者とその家族に伝えたいことは?

「アルコール中毒は道徳的な欠陥ではなく、誰でもなり得る精神的な病だ。そして他の病同様、初期に発見して早期治療することが重要だ。

何より、アルコールに代わる価値のあるものを探すことが治癒と再発防止の最善策だ」

李ソンミン記者
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