申京淑(シン・ギョンスク/39)の『J物語』(マウム出版者)は面白い。「短い小説」というサブタイトルが付いているが、これは一種のコント集だ。ユーモアと諧謔、人生のペーソスが少しだけ添加された、輝かしい小物が一堂に会した。申京淑がいつ、このような作品を書いたのか、不思議に思えるほどだ。
その中には幼年、もしくは若いごろの申京淑の様々な“顔”が盛り込まれている。しかし、それら“申京淑”は彼女の自伝小説『離れ部屋』の申京淑ではない。不可解な人生の深淵の前で戸惑う孤独な存在や、小説を通じて真実の深層に危うく辿りつこうとする魂の肖像ではないのだ。それはかえって彼女の内面の隅々を照らす「日常の申京淑」だ。だから、それらの姿はさらに実感と親近感が沸く。
『J物語』は申京淑が1985年に登壇して以来、出世作となった『風琴のあった場所』(1993)で専業作家となるまで、新聞や雑誌、社内報などに発表した44編の作品に手を加えたものだ。要するに、「20代の申京淑が書き、もう直40歳になる申京淑が手を加えた作品」である。ところで、なぜよりによって“J”なのだろうか。それは作家の故郷である井邑(チョンウプ)と関係がある。
「短い作品を集めてみたら、一貫した流れが感じられたんです。それは溌剌としてユーモア溢れる、愛しいJだった。うっとうしい現実の中でも、楽しく、面白く状況を乗り越えていた私が見えるんです。自分で書きましたが、第3者になったような感じです」
申京淑はJという人物を再構成する過程で、何回も笑いがこぼれたという。「引越しの荷物をまとめる際、アルバムを開いて一枚一枚めくってみる気分だった」とし、「Jは私でもあり、あなたでもある」とした。
申京淑は自分の20代が「栄養失調になった人のように、物書きや人間関係において飢えていた」時期だったという。反面、30代は「作品を書く時間が与えられ、また、書けた時期」だった。ならば、40代は?「今は、どんな状況に置かれたとしても、一生物書きとして生きられるような気がする」と彼女は答える。
40代になった申京淑の歩みは、昨年発表した長編『バイオレット』と最近作『水の中の寺院』などから垣間見ることができる。『バイオレット』が、暴力が支配する日常で破滅していく女性を描いているとすれば、『水の中の寺院』では「断絶された人間関係につながりを作ってあげるべきだと考えた」という。「作家は言語を通じて人間と人間を疎通させる霊媒の役割をする」という考えだ。
次の作品は「ある日突然、目が見えなくなった人の話」だ。この作品を書くために、申京淑はは最近、家の近くにある視覚障害者学校の前に呆然と立ち尽くすことが多いという。この秋、彼らに本を読んであげる時間も作ってみる考えだ。
新作の長編の話をしながら、申京淑は「目に見えるものが全てではない」という話頭を持ち出した。そして「平和で幸せな瞬間を迎える時、それは『果せなかったものたち』の力のお陰だと考える」と付け加えた。「果せなかったもの」とは、果せなかった人生、若くして死んだ人、別れた人などで、これらが自然の中に溶け込んでいて現われるというのだ。
申京淑は「だからといって、神秘主義に陥っているのではない」とすぐに付け加えた。「足は常に現実の上に付けている」と。「うっとうしい現実、息詰まる現実、暴力が横行する現実の中で起こるたくさんの事も好きだ」と、彼女は話した。