李外秀(イ・ウェス/57)は力尽きていた。3年7カ月をかけた長編『怪物』(へネム出版社)を脱稿した直後だった。一旦、小説に没入すると一切外出をせず、熱病のように自分との戦いを繰り広げる彼だ。増して、今度の作品は「60歳の前に最も渾身を込めた代表作を書いてみよう」という覚悟で取り組んだ作品だというのだから、そのし烈さはいつにも増していたはずだ。
天下の奇人として知られる李外秀。それもそのはず、酒を飲めば3日3晩、たばこは1日10箱、よほどのことがない限り、髪を洗わず、洗顔も省略する。やせこけ、さらに矮小に見える体、肩の下まで伸びている髪、深く刻まれた額の皺…。
春川(チュンチョン)の彼の自宅で対面した李外秀は噂の通り奇人に見えた。しかし、話が進むに連れ、彼が仙人のように思え始めた。安らかで穏やか、躊躇することのない仙人。なぜ、読者たちが彼のホームページを1日平均100人も訪れ、何かと言えば大勢の人が彼の家に集まるのか、やっと納得することができた。
新作『怪物』は独特な構造を持つ。伝統の「チョガクポ(端切れを縫い合わせて作った風呂敷)」を作る技法だと彼は説明する。「章ごとに事件があってメッセージがあるが、最後になってやっと“大きな絵”が現われる」立体的な構造だ。作家は巧みな技でばらばらになった端切れ(章)を縫い合わせて小説を完成させた。2階の執筆室に上がると、産みの苦しみの残骸が散らばっていた。小説の登場人物の名前と各章の題目が壁面にびっしり貼られている。
小説はあわせて81章で構成された。81文字から成っている『天符経』の構図から取ったと言う。李外秀は「宇宙の原理を説明するに当たり、『天符経』に勝るものはない」とし、「西洋ではフラクタル(fractal)を言うが、私たちは1000年も前に既に宇宙の原理を悟っている」と話した。
この言葉の中には李外秀の精神世界を垣間見る端緒がある。それは、道の世界、仙の世界だ。『チャンスハヌルソ(カミキリムシ)』、『カル(刃)』、『ファングムビヌル(黄金の鱗)』と続く彼の前作で見せた世界でもある。自宅を「格式の外側で戯れる仙人の家」という意味の「格外仙堂」と命名した理由もここにある。
今回の小説には前世の話が登場する。「死後の世界を信じるか」と問うと、約20年前、「有体離脱」を体験したという答えが返ってきた。「ある日、優しい声に導かれ、“上”に上がって行った。愛で満たされた、美しいところだった。地上で、貴重で大事に扱われていたものが、そこでは何ら意味がなかった。言語を超越し、時間の形質が完全に異なっていた。そこから戻ってくるということは、向こうの時間と地上の時間が合一することを意味した」
彼は「現存する空間は、異なる無数の空間が重なり共存している、無限の次元から成っているという事実を、その時悟った」と付け加えた。
彼に付きまとっている奇行の噂は芸術に向けた彼の非常な執念に基づいている。特に、ものを書くことは、「鮮血で書く」と表現するほど、彼にとっては苦痛であるが、同時に彼を支える力でもある。数行の文章を得るために、彼が注ぐ努力と誠意は、実に涙ぐましい。今回の小説には、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員が登場するが、その工作員が使う毒針に関する情報を得るために、国家情報院と警察、大学などに問い合わせた。結局は米中央情報局(CIA)から資料を入手したという。
李外秀は望遠鏡と顕微鏡が大好きだ。これに対して、精神科医師のチョン・へシンはこのように分析する。「私たちの人生に関する根本的な質問が望遠鏡的な見方だとすると、鳥肌が立つように緻密な彼の描写は、顕微鏡を見入るように具体的だ」
李外秀のし烈な芸術の魂は、絵からも感じ取れる。本来、画家を夢見た李外秀は、西洋画を描いたが、20年前に“墨”に転換した。いつか、故・重光(チュングァン)僧侶が李外秀の絵を見て回っては「ここに李外秀の絵は一つもない」と一喝した。全て中国の絵だという揶揄だった。その時の衝撃から、彼は画法を変えた。
「絵を描く時は、まず心を鎮め、筆と合一しなければならない。その後、筆に付いて行かなければならない。“自分”を筆に任せるのだ。そして、呼吸を止め、一気に描く。一瞬、筆を止めると紙が墨を吸い込んでしまう。一瞬にして描かなければならない。筆の先で描くのではなく、筆全体を使って、淡彩までも一気に表さなければならない」
李外秀は著者のサイン会でも筆を使う。「ボールペンで書くと、読者に申し訳なく思えるため」だという。小説をたくさん書くのでもなく、4~5年を待って買ってくれるのだから、読者にそれくらいのサービスは当たり前だというのだ。