「音沙汰なしの美術館が“脳卒中”知らせに飛んできた」

 「彼は英語をまともに話せない。強いアクセントに訥弁な表現をするため、言葉を聞き取りにくいほどだった。6年前、脳卒中を患って以来、彼の言葉はなお更理解し難くなった」

 ニューヨークタイムス(NYT)記者がニューヨークで活動しているビデオ芸術界のゴッドファーザー 白南準(ペク・ナムジュン/70)に会った後、書いた記事(10日付け)はこのような出だしで始まる。このインタビュー記事は白南準の過去の意地悪な行動に対するファンの疑問を大いに解消してくれた。

 無表情な白南準は消え入るような声で、「人々は私が死ぬと考えているようだが、私の人生は上々だ」とし、「(作品と関連した)交渉をしていたグッゲンハイム美術館が一時私を全く訪ねて来なかったが、私が脳卒中で倒れるとすぐに飛んできた」と逸話を紹介した。

 ニューヨーク・マンハッタンのロックフェラー・センターには彼の最新作『20世紀のための32台の自動車:静かなモーツァルトのレクイエム』が設置されている。彼は作品の意味を「私の幼年時代の追憶」と説明した。


 「第2次世界大戦が終わったころ、家に車が7台あったんだが、随時故障したよ。それで車両整備士2人が常に家で待機していた。当時はガソリンがなかったから、木炭を使ったんだ。(笑いながら)1935年式『木炭リムジン』だ」

 白南準が17歳の時に日本に渡ってから、作品を作るといってピアノを壊し、卵を投げつけた事件は有名だ。

 記者が「その時、家族の反応はどうだったか」と聞くと、大したことなさそうに「仕方ないだろう、覆水盆にかえらずなんだから…」と答えた。彼は「当時私は急進マルクス主`者だったんだ。政治的に私のやりたいことができなかったものだから、政治的行動に代えてやったことだった」と話した。

 彼は1964年ニューヨークに渡った。日本人の夫人 クボタ氏も同年渡ってきた。クボタ氏は「過去、夫には女性の追っかけファンが多かったんです。私もその中の1人ですし。後にジョン・レノンと結婚したオノ・ヨーコさんも追っかの一人でした。オノ・ヨーコさんは自分の著書に『白南準に捧げる』と書いたほどでした」と話した。

 白南準は現在、ホワイトハウスで会ったことのあるヒラリー・クリントン米ニューヨーク州上院議員と関連した作品を構想している。「ヒラリーさんは好きだね。面白い人だ。まだ若く、美しい。ボッティチェリの作品『ビーナス』にヒラリーさんの顔を被せた絵を大型風船に貼りつけ、マンハッタンのパークアヴェニューの木にかけておくつもりなんだ」

 彼は“表現の自由”を理由に、上院議員の裸身を展示することもあり得ると考えていると、同インタビュー記事は伝えた。

ニューヨーク=金載澔(キム・ジェホ)記者
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c)Chosunonline.com>
関連ニュース