「私たちを支えたあの力を描きたかった」

 昨年『チング(日本公開タイトル『友へ/チング』)』で韓国映画史上最高ヒットを記録した郭[日景]澤(クァク・キョンテク/36)監督が新作『チャンピオン』をまたもやヒットさせている。

 先週末に公開した『チャンピオン』は4日現在、全国95万の観客を集め、ランキング1位をマークしている。近年大ヒット映画を制作した監督たちが3、4年が経っても次の作品を作り出せないことが多い中、この監督は、どういう根性と熱情でもってこうして相次いでヒットを飛ばしているのだろうか。

 3日、『チャンピオン』を公開中の江南(カンナム)のある映画館の前で会った郭[日景]澤監督は、だぶだぶのTシャツに半ズボンの姿だった。しかし、彼の素朴な外見の中には、余りにも“話したいこと”の多い映画青年の熱情があった。

-またもやヒットで、さぞ嬉しいと思うが。

「嬉しいというより、宿題を終えた気分だ」

-宿題とは?

「金得九(キム・ドゥック)選手の映画を作ろうと心に決めたのが10年以上も前だから…」

-考えによっては、20年前、試合中に死亡したハングリーボクサーの物語は、そんなにまで精を出す映画素材とは思えないが。

「その通りだ。私の妻も金得九選手の映画を作ると話したら、『やっぱり、あなたは1回きりの監督ね』と話していた。そんな妻が『チャンピオン』を観てから、『こんな話しで私の目から涙を流せるなんて…。あなた、本当に私と一緒に住んでる人?』と言っていた。本当に気分が良かった」

-金得九選手の人生がなぜ映画素材として成功すると確信したのか。

「私たちの先輩たちが、あの辛かった時代をどうやって行き抜いたのか。私たちが耐え抜いたそのエネルギー、私たちを耐えさせた夢は何だったのかを描く映画になるからだ。初め、映画のタイトルを『リメンバー・ヒム』にしようと思った。『彼(him)を記憶しろ』という意味と、『ヒム(力の意)を記憶しろ』という二重の意味で」

-金得九選手が死亡した試合を観たのか。

「もちろんだ。17歳、高校1年の時だった。私は金得九選手が試合の間中、たった一歩も後に退かないのを観て、『あ、この選手は死ぬ覚悟で試合をしているな』と思ってぞっとした。そんな金得九選手が倒れてコーマ状態(昏睡状態・1年間医大に通った郭監督の口からは、度々医学用語が飛び出す)に陥ると、私の家族のことのようにドキドキした」

-デビュー作の『オクスタン』は消え行く銭湯の物語で、『友へ/チング』、『チャンピオン』も過ぎ去った時代に対するノスタルジアがある。あなたは30代なのに、なぜ過ぎ去った時代をそんなにまで反芻するのか。

「私は昔の思い出をよく覚えている方だ。4歳の時のことも覚えている。医師だった父もそうだったというから、遺伝のようだ。私が最も自信持ってできるもので映画を撮っていたら、過ぎた時代の作品を多くやるようになった。1991年から1995年まで、米国のニューヨークで映画留学を終えて帰国してびっくりした。豊かにはなっていたが、幼いごろ教わった“節約”などの美徳を鼻で笑っているようだった。昔の韓国のことをそっくり憶えている私としては衝撃だった。それで、私たちが振り返るべきものに対する関心も深まった」

-『友へ/チング』、『チャンピオン』と、主に実話に基いた作品を作る理由があるのか。

「天才なら想像力でもってファンタジーを作れば、ヒットするだろう。しかし、私は天才ではない。IQテストを2度受けたが、2度とも“119”だった。天才でない人が生き残る方法は、自分の足で走って一生懸命に取材をして物語を作ることだけだ」

-映画制作の過程で金得九選手の婚約者と彼女が生んだ金選手の息子など、遺族と会ったのか。

「金選手の息子は昨年に大学入試修学能力試験(日本のセンター試験にあたる)を受けたと聞いているが、会ってはいない。受験生に負担になるかと思い、『チャンピオン』のクランクインも年末に遅らせた。婚約者とは1度会った。彼女は映画化に反対した。私は『あなたの心情は分かるが、私にもこの物語を映画にしなければならない理由が確かにある』と話した』

-『チャンピオン』で郭監督も多くのカネを稼ぐことになるのか。

「今回は『友へ/チング』と違って、私の持分も入っているので、興行に成功する分、収益を分けてもらえる。収益の一部で金得九選手の遺族を援助したいと思っている」。

金ミョンファン記者
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