白い服を着たお婆さんがゆっくりと歩いて行く。照りつける太陽を花模様の日傘で遮り、そよ風にスカートをなびかせながら、ゆっくりと歩いて行く。疲れたら大きく深呼吸をして、また疲れたらもう一度深呼吸をする。シミだらけの顔だが、子供達たちに会いに行くお婆さんの口元には笑みがこぼれている。
「絵本のお婆さんだ~」。真っ先にお婆さんの姿を見付けた子供がこう叫ぶと、ぞろぞろと玄関に押しかけてくる子供たち。お婆さんの頬にキスして、抱きしめてと大騒ぎだ。2階で遊んでいた子供たちまで一斉に降りて来たため、部屋の中はぎゅうぎゅう詰めとなった。
「あ~ら、本当に可愛いわね、ありがとう。皆さん1週間、元気でしたか? 『大~韓民国!チャチャンチャチャンチャン』って、サッカーの応援もしましたか?一生懸命応援しましたね!さて、今日は『王様の耳はロバの耳』と言うお話をします。耳をよ~く澄まして聞いて下さいね。分かりましたか?」。
80歳の李ハクソンさんが京畿(キョンギ)道・果川(クァチョン)の共同育児組合『開かれた子供の家』の語り手となったのは2年前。ちょうど同じ地区のうえ、一人息子のチョン・ビョンホ教授(47/漢陽(ハンヤン)大学文化人類学科)が、他の父兄と行っている共同育児運動の現場でもあり、ボランティアをするようになった。
「歩けるうちはボランティア活動を続けたい。それが格好いいと思う。絵本自体はありふれたものだが、私のような年寄りが話をしてあげるのは、また一味違うでしょう。子供たちが笑う姿を見ながら、年寄りがやる仕事がまだ残っているなって、やりがいを感じます」
チョンシン女子高校を卒業後、19歳で教壇に立った4人の子供を持つ「厳母」だった。息子のチョン教授がエピソードをひとつ聞かせてくれた。「弁当に箸が入っていなくて食べられなくて持って帰ってきたんですよ。私に謝ると思ったら、妹たちの前で大恥をかかせてくれました。木の枝でも折って食べればいいだろう、お前はいつまで子供なのかと。バス代がなくて、恵化(ヘファ)洞から普光(ポグァン)洞まで日が暮れるまで歩いて来た時も大目玉を食ったんです。バスの運転手さんに話して、後でお金を渡せばいいものを、頭が悪いと…」
子供を持った親が設立し、共同運営するという共同育児に対して、彼女は深い関心を持っている。「他人の子供も自分の子供のように思い、社会が一緒になって未来の宝物が元気に育つように助けること」と言う李ハクソンさんは「お年寄りが町内の幼稚園や子供の家に行って昔話をして、子供たちに経験と知恵を伝えられれば、それ自体が子供を育てるのではないか」と語った。
本人も糖尿病と関節炎で体の調子はあまり良くないが、毎週木曜日に欠かさず子供の家に行くのはそうした理由のためからだ。