『ソウルの達人』出版した黒田福美さん

 「仁寺(インサ)洞で売っている品物を高速バスターミナルの地下商店街に行けばもっと安く買うことができる」、「製パン・製菓学校は芳山(パンサン)市場周辺に多い」、「黄鶴(ファンハク)洞の蚤の市へ行ったら、必ず中古ビデオテープ店に立ち寄るように」

 ソウルに住む人も知らないソウルを熟知している“ソウル通”の日本人、黒田福美(45)さん。ソウルの裏通りの風景をいきいきと伝える『ソウルの達人』(発行:チャンへ)が、韓日共催のワールドカップ(W杯)の開幕に合わせて出版された。

 「おいしいソウル、おもしろいソウル」の伝道師を自負する彼女の本業は、女優兼タレントだ。今年制作された韓日合作ドラマ『フレンズ』にも出演し、2002W杯日本組織委員会の理事も務めるなど、両国を往復する日々を過ごしている。ソウルの味と趣に惹かれ、ソウルを日本に伝えてからすでに20年。今回出版された本は、南山(ナムサン)が手に取るように見える薬水(ヤクス)洞のマンションを借りて、1年半をかけてソウルと東京を往復しながら書き上げた。

 「ソウルは本当にダイナミックです。ある食堂が繁盛すると、すぐ隣にまた同様な店ができて、あっという間に“グルメストリート”が形成されます。日本は湿気が多いので、短時間で頻繁に入浴しますが、韓国の人たちは牛乳を飲んだり、昼寝をしながらゆっくりと入浴を楽しむようです。見た目ではソウルと東京は似ているように見えますが、生活文化は全く違います」



 黒田さんにとって特別な意味を持つソウルの姿は、観光客がよく訪れる明(ミョン)洞や南大門(ナムデムン)市場だけではない。コプチャン(ホルモン)通りからトッポッキ通り、時計通り、中古レコード通り、保税品通りに至るまで、本当のソウルの姿がある場所の数々だ。飲食店の紹介のみならず、在来市場、汗蒸幕(ハンジュンマク)、韓紙(韓国伝統紙)、伝統の風呂敷などを通じてソウルの文化コードも分析する。

 黒田さェ初めて韓国に惹かれるようになったのは1983年、バレーボール選手の姜萬守(カン・マンス/現・現代(ヒョンデ)キャピタル監督)のファンになってからだ。「韓国について色々と調べているうちに、日帝時代(日本の植民地時代)の歴史や在日韓国人差別問題などに関心を持つようになったんです。韓国に対する誤解や偏見を直さなければと思いました」。そんな理由で、彼女は1年間、韓国語の勉強をした。カメラを持って一人で訪れたソウルで、彼女は韓国の最大の魅力である“韓国の人々”を発見した。

 「日本人のことは理由もなく嫌いだと聞いていましたが、直接会って見ると、みんなとても親切なんです。偶然に会った人がソウルを案内してくれたり、食堂のおばさんは韓国語が上手いと誉めてくれたり…。人々の心が本当に温かいと感じたんです」。初めて韓国を訪れた時の“感動”は、彼女に300回以上も玄海灘を往復させた。88年のソウル五輪の際には半年間ソウルに滞在してテレビレポーターを務め、その番組は日本に韓国を知らせる先駆け的な番組となった。

 「当時日本にあったソウルの観光ガイドには市庁や国会議事堂の位置くらいしか載っていなくて、実用的な情報がありませんでした。まだ、ソウル自体がよく知られていなかったのでしょう」

 ソウルと東京を結ぶ架け橋になる事を決心した黒田さんは、時間ができるたびにソウルの隅々を歩き回って、人々に会い写真を撮った。95年、日本で「ソウル写真展」を開いたほどだ。韓国の音楽を紹介するラジオのパーソナリティーを務め、『ソウル、マイハート』、『ソウルの達人』など、5冊のソウル関連本を日本で出版した。

 「メウンタン(海産物の辛口鍋)や銭湯も好きですが、韓国の一番の魅力は何と言っても“人”です。韓国の人たちは率直であっさりしていて、とても好きです。私も韓国人に似つつあるのか、時々あまりにストレートにものを言い過ぎて、日本の人々から驚かれたりもします」。

 黒田さんは来月、韓国のマンションを引き払って日本に帰国する。「もし、一日だけ時間が空いたら、銭湯と東大門市場へ行きたいです。

あ、今日みたいな日は、ちょっと辛いスンドゥブチゲ(豆腐鍋)がとても食べたいですね!」

李自妍(イ・ジャヨン)記者
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