荒唐・痛快な風刺で一躍スターになったペ・チルスさん

 「オイ、ジョージブッシュ、君が言っていたその…、F15何とかという自転車なんだが、後で部品のことで頭痛くなるんじゃないかと思って電話したんだが…」“大統領の声”に続いてナレーションが流れる。「私たちの声を探して~。今日は韓国大統領が米大統領に“言ってほしい声”です」。金大中(キム・デジュン)大統領の物まねが続く。

 「何だって?工場を閉鎖するかも知れない?この野郎…、先日の金メダルの件も我慢してやったのに…」

 荒唐、しかし、痛快なこの声の主人公はペ・チルス(31/本名:李ヒョンミン)。彼が今年3月6日、『ペ・チルスの音楽テント(『?哲秀(ペ・チョルス)の音楽キャンプ』ではなく)というインターネットラジオ番組で作り出したこの声は、MP3ファイルでコピーされ、1000万人以上が聞いたものと推算される。

 1999年10月、ペ・チルスという名が初めてインターネットに登場した時、大半の人は、人気ラジオ司会者の?哲秀の物まねをする“?哲秀コピー”くらいだろうと思った。約3万~4万人程度が聞くというインターネット番組『ペ・チルスの音楽テント』は、すでに550回を越えた。そのような人気を背に、先月からはオフラインにまで進出、SBS-FMでコメディアンの金ハクドとともに『金ハクドとペ・チルスのワワショー』を担当している。

 若者たちを虜にしたこの“ペ・チルス旋風”の背景は何だろうか。彼は「正直だからじゃないですか?」という。「痛快だとよく言われます。少なくとも、話していることの意味を知ってて話しているから“ペ・チルス”が好きなんだと思います。何よりも、地上波では言えないことをインターネットでは自由に話せるということが重要だと思いますね」

 彼のコーナーには特に政治の風刺が多い。『音楽テント』の途中、「オイ、小泉、そんな風に言ってていいのか?」と声を荒げたり、「オイ、江沢民、変わりはないかい?」と声をかける。先日、MBC-FMの『崔揚洛(チェ・ヤンラク)の面白いラジオ』で「マラソン区間の正式距離は?」というクイズが出されると、YS(金泳三(キム・ヨンサム)前大統領)が演説する時の口調で「42.co.kr!」と叫び、番組は爆笑の渦に巻き込まれた。その度、政治家は笑いものに転落する。


 「政治家たちのやっていることがおかしいじゃないですか。みんな見え透いた手を使ってるし。インターネットだからこんな風刺も可能なんでしょうね」。彼は「インターネット放送が貧弱に見えるかもしれないけど、コンテンツさえ良ければ十分に成功するはず。それを示したという自負心がある」と話した。

 『音楽テント』を録音するソウル小公(ソゴン)洞のナヌム技術スタジオで会った彼の声は、?哲秀とそっくりだった。彼は「?哲秀の物まねでラジオ広告をしてほしいという提案が結構入ってきたけど、全部断った。それを全部やっていたら、家を買えたかも」と言いながら笑った。

 才能(チェヌン)大学(旧テホン電子工業専門学校)社会体育学科を卒業した彼は、本当に物まねの才能があった。“3金”はもちろん、李順載(イ・スンジェ)、崔揚洛、呉知明(オ・ジミョン)、鮮于龍女(ソンウ・ヨンニョ)まで、一通り物まねをして見せた。しかし、1999年7月の『スーパーボイスタレント選抜大会』以前までは仁川(インチョン)でスポーツジムを運営する青年だった。『選抜大会』で大賞を獲得した彼は、直後『?哲秀の音楽キャンプ』に招かれた。

 「その日、オープニングのコメントを私がやったんです。誰も気づかなかったんですが、?哲秀さんも奥さん(MBCラジオのプログラムディレクター(PD))がスタジオに電話をかけ、『夫の声がおかしい。機器に問題があるようだ』と話してました」

 彼は一流スターのように忙しいスケジュールに追われている。MBC、SBS、iTV(京仁(キョンイン)放送)、ケーブルテレビまで、ゲストとして出演しているテレビ、ラジオ番組だけで7つだ。「テレビで単独の番組を任せてくれたとしても、これ(音楽テント)は決して手放さないつもりです。これほどに自由なものはないですからね」

 半袖に半ズボン、野球帽をかぶった“?哲秀コピー”は、「番組が長引いてまだ昼食も食べられなかった」といいながら、再びスタジオの中に入って行った。

韓賢祐(ハン・ヒョンウ)記者
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