俳優イ・テソン(32)は中学・高校時代、将来を嘱望された野球選手だった。韓国プロ野球を代表する左腕の金広鉉(キム・グァンヒョン)投手(29)=SKワイバーンズ=は安山工業高校野球部の2年後輩で、ユ・ヒグァン投手(31)=斗山ベアーズ=は梨水中学野球部の1年後輩だ。しかし度重なるけがのため、野球をあきらめざるを得ず、これでイ・テソンの人生は大きく変わった。
イ・テソンは19歳で俳優デビューを果たし..
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俳優イ・テソン(32)は中学・高校時代、将来を嘱望された野球選手だった。韓国プロ野球を代表する左腕の金広鉉(キム・グァンヒョン)投手(29)=SKワイバーンズ=は安山工業高校野球部の2年後輩で、ユ・ヒグァン投手(31)=斗山ベアーズ=は梨水中学野球部の1年後輩だ。しかし度重なるけがのため、野球をあきらめざるを得ず、これでイ・テソンの人生は大きく変わった。
イ・テソンは19歳で俳優デビューを果たした。持って生まれた才能とルックスで、デビュー早々映画『親知らず』の主役の座を手にし、注目された。「韓流スター」として一気に急浮上したイ・テソンは、韓国の芸能人として明仁天皇と顔を合わせたことのある唯一の人物としても記憶されている。
いつの間にか30代。インタビューで会ったイ・テソンは「いつも喜怒哀楽があるみたい」と言いながら、淡々と気持ちを語った。「『上り坂があれば下り坂もある』というではないか」
人生の中で大小の難関にぶつかったが、イ・テソンは「運動選手時代に習得した特有の精神力で耐えてきた」と打ち明けた。最近出演した週末ドラマ『黄金色の私の人生』(KBS第2)は、そうした屈曲の過程の中で向き合った新たなチャレンジにして、チャンスだった。
同ドラマで一家の長男にして、結婚や出産など多くのものをあきらめた現代の若者のことを指す「N放世代」を代弁する人物ソ・ジテを演じたイ・テソン。実に9カ月余りに及ぶ撮影を終え、一際すっきりした気分でインタビューに臨んだ。
-9カ月にわたって週末ドラマの撮影があったが、体力的にしんどかったのでは?
「むしろ、前のミニシリーズの方が大変だった。夜明けまで撮影することが多く、その場で書かれた台本を渡されることもあった。週末ドラマはほとんど予定通りの日に撮影することが多い。長期間撮影するので、ペース配分をうまくやらないといけない。逆に、一つのキャラクターで9カ月間過ごす精神的な疲れの方が大きかったように思う」
-「N放世代」を代弁するキャラクターでもあるが、どう思いながら演じたか。
「『N放世代』を扱ったドキュメンタリーを見たことがある。あの人たちも(ソ・ジテのように)本当に無力だった。ただ、僕たちのドラマを見て間接経験を通じ、勇気を与えなければならないのに、あまりにも断面的なことばかり見せているのではないかという懸念があった。『N放世代』も努力すれば十分に別の結果を得られるのだから。そういう部分について、かなり悩みながら監督さんと話をしていたように思う」
-「N放世代」と似たような状況を経験したことがあるか?
「前にあった。デビュー後、20代で主役として活動していたが、ドラマ『犬とオオカミの時間』に出演してから事務所と契約をめぐる争いになった。詐欺に遭ったようなものだ。出演停止の仮処分を受けて1-2年ほどテレビに出演できなかった。家も奪われて…。そのころは若かったのでチムジルバン(韓国式サウナ)で暮らした。一日に1万ウォン(約1000円)で3-4カ月暮らした。会社から一緒に出たマネージャーと、毎日コーヒーショップに行っていたように思う。ああ、あれがもう10年以上前のことなのか」
-若いうちから大変なことを経験したようだ。
「誰でも同じだろうが、うまくいくときがあれば、うまくいかないことが常に待ち構えているみたい。俳優としていつもヒットが続くという保証もない。軍隊でも大変だった。20代は本当に疾風怒濤の時期だった。20代の芸能生活は大変だった記憶しかない」
-ガールフレンドはいるのか?
「いない。いればいいんだけど…ガールフレンドができたら、意図的に隠すようなことはしない。僕は『他人は僕に関心がない』主義。隠れて交際することはないだろう。大して気に留めない性格なので」
-結婚は?
「機会があればしないと。まだ若いんだから」
-理想の配偶者像がある?
「うちの母のような人。賢明な感じ? 見た目も美しければなおいい。ははは」
-大変なとき力になった存在がある?
「キム・スンウ先輩。僕の悩みを自分の悩みのようにすごく考えてくれる。選択は僕がするけれど、開かれた思考で考えることができるようにとても助けてくれる。マネージャー出身の社長より、俳優の気持ちをうまく分かってくれるみたい。頼もしいメンター」
-除隊した今、入隊前とどういう部分が大きく変わったか?
「何と言っても、入隊前は制約が多い。僕が何か努力しても、あるいは何か契約しても、軍隊のせいで常にブレーキがあった。そういう面で、先を見て何かを試すことができなかった。今では、自分が計画することを先々10年後まで準備して続けられる、というのが最大の武器になったように思う。もうすぐ『ミス・ハンムラビ』の撮影にも入らないといけないし、もっと一生懸命活動したい」
ユン・ソンヨル記者
STARNEWS/朝鮮日報日本語版
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