俳優チュ・ジフンは型にはまったものが嫌いだった。悲しみを表現するときはおえつし、怒りを表現するときは拳を使うという典型的な演技をするのがきまり悪かった。かといって、典型的な同じ演技から抜け出そうとすることにも激しいストレスを感じた。
そんなチュ・ジフンが変わった。映画『Good Friends』で、チュ・ジフンはいわゆる「典型的」な演技を見せている。泣くときは泣き、叫ぶときは叫ぶ。チュ・ジフンの..
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俳優チュ・ジフンは型にはまったものが嫌いだった。悲しみを表現するときはおえつし、怒りを表現するときは拳を使うという典型的な演技をするのがきまり悪かった。かといって、典型的な同じ演技から抜け出そうとすることにも激しいストレスを感じた。
そんなチュ・ジフンが変わった。映画『Good Friends』で、チュ・ジフンはいわゆる「典型的」な演技を見せている。泣くときは泣き、叫ぶときは叫ぶ。チュ・ジフンの演じる主人公インチョルを見ながら「あんな友人いたよなぁ」と口にする人は多いはずだ。チュ・ジフンは「典型的」という枠の中で翼を広げ、飛び回っている。
「典型的というのがとても嫌いだった。けれど、俳優のモーガン・フリーマンを見て考えが変わった。映画『最高の人生の見つけ方』だったかな。がんを宣告されてショックを受けるシーンだった。受話器をポトリと落として魂の抜けたような表情を見せていた。精神的に完全に崩れたときの典型的な表情じゃないかと思う。『え、まさか』と思いながら見たが、全身に戦慄(せんりつ)が走った。そのとき、自分がどんなにバカだったか悟った。『典型』というのは誰もが共感するもの、誰もが受ける感動なのだ。それを十分に表現できる人こそが『本物』ではないかと思った」
『Good Friends』を見る人にとって、チュ・ジフンはモーガン・フリーマン顔負けの「典型的な存在」だが、実は演技する立場で言えばはそうではなかった。明確な部分が全くない『Good Friends』の演技で、チュ・ジフンは相当苦しんだという。
「今回の映画は、仲良し3人組が友情をはぐくみ、最後まで互いを大切に思い続けるという、平凡で弱い人間の姿を描いている。誰も意図していないのに実に恐ろしい事件になってしまうという『人生の皮肉さ』もはらんでいる。さまざまな感情、過程、結果、あらゆる部分がオープンになっている。はっきりとした特定のメッセージを強調しているわけでもないし、見る人によって感じ方や解釈が異なる映画だ。事件を追っていくのではなく感情の細かい部分を取り上げているため、演技は容易ではなかったが、映画を見ながら自分の考えや自分の人生を振り返れるという点で、大きな魅力が感じられる」
『Good Friends』は10代のころの幸せと悲劇に始まり、30代の幸せと悲劇へと続いていく。まるで分身のような存在だった3人の友人たちは、豪雪に襲われた酷寒の山の中で孤立し、その後複雑な感情に襲われる。「僕たちは一つ」という信頼感、「誰かが裏切るかもしれない」という疑念、「助かるのか」という不安。このときのトラウマが、大人になった3人の潜在意識に深く染み込んでいる。
「若いころも今も、僕たちは皆同じ。価値感の違いがあるだけ。若いころに抱いた感情が、年を取ったときにはその時代に合ったものに置き換えられるだけ。そのような感情の細かい部分について、監督はうまくシナリオを書いたな、と思った」
チュ・ジフンは『Good Friends』の撮影を通じて、自分のやりたい演技をもっと突き詰めたいと強く感じたという。次の作品となる時代劇映画『奸臣』(原題)の撮影に備え、「減塩食」ではなく「無塩食」を取り入れて体作りに励んでいるチュ・ジフン。ハードスケジュールの中でのインタビューの連続で、喉を痛めることも一度や二度ではなかった。それでも声のトーンを下げることなく、楽しそうに映画の話を続けた。
「具体的にどんなことをやりたいという目標は決めていない。ただ、俳優は栄光を手にしたときは最も多くのことを享受できるけれど、そうでないときには苦しみを全て甘受して耐えなければならない。そのため、自分がやりたいことをやるなら『証拠』がなければならない。それが観客動員数であれ、視聴率であれ、話題性であれ、とにかく僕に対する(周囲やファンたちの)信頼を積み上げていくことが重要だ」
◆チュ・ジフン、グラビアギャラリー
カン・ミンジョン記者
edaily/朝鮮日報日本語版
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