1957年、5歳のアン・ソンギは父親に手を引かれ映画『黄昏列車』の撮影現場に行くと、父の友人キム・ギヨン監督に突然たたかれた。
アン・ソンギは大泣きしたが、大人たちは喜んだ。「いいぞ! ちょっと小生意気で演技はうまいと思ったが、泣く演技だけは物足りなかったんだ」
中学3年生までに53本、兵役を務めてからこれまでドキュメンタリーや声による出演を除いて80本の作品に出演した「国民的俳優」のキャリアは..
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▲ソウル市中区の明宝アートホールで17日、俳優アン・ソンギは自身の評伝を書いた村山俊夫氏と対面した。写真は日本語版と韓国語版の本を手にする2人。/写真=李徳熏(イ・ドクフン)記者
1957年、5歳のアン・ソンギは父親に手を引かれ映画『黄昏列車』の撮影現場に行くと、父の友人キム・ギヨン監督に突然たたかれた。
アン・ソンギは大泣きしたが、大人たちは喜んだ。「いいぞ! ちょっと小生意気で演技はうまいと思ったが、泣く演技だけは物足りなかったんだ」
中学3年生までに53本、兵役を務めてからこれまでドキュメンタリーや声による出演を除いて80本の作品に出演した「国民的俳優」のキャリアは、こうしてスタートした。5歳の子どもから、今や還暦を目前にした大俳優アン・ソンギの演技に、同年代の日本人・村山俊夫氏(58)は熱烈なファンになった。
村山氏は1986年に延世大学で韓国語を学ぶため来韓した際、アン・ソンギが野球の監督役を演じた『恐怖の外人球団』を見た。日本に帰国後、京都で韓国語学校の経営を始めた村山氏は、アン・ソンギが出演する映画を50本以上見た。東京国際映画祭ではアン・ソンギの通訳を務め、気さくな人柄にほれ直した。
村山氏は、アン・ソンギの承諾を受け2年半かけて『アン・ソンギ-韓国「国民俳優」の肖像』(岩波書店)を書き上げた。この本は今年初めに日本で発売され、韓国で間もなく出版される予定だ。
韓国版のタイトルは『青春でなくてもいい』(四月の本)。二人は18日、ソウル市中区の明宝アートホールで対面した。
アン「韓国にも評伝を書きたいという方たちがいらっしゃいました。そう言われるたびに気恥ずかしく思っていたのですが、村山さんがそう言ってくださったときは既にかなり作業が進んでいたようで、ストップをかけることはできませんでしたね。完成した本を読みましたが、とてもよく取材されています。『あの映画のフィルムがまだ残っていたのか』と驚いた映画もあります」
村山「映像資料院、インターネットのファンサイト、古本屋、国立中央図書館などをくまなく探し回りました。昨年9月に本人とじっくりインタビューする機会をくださったのも、とても助かりました。周りからは『なぜアン・ソンギなのか』とよく聞かれます。私は27歳のときに韓国語を初めて学んで以来、ずっと韓国を愛してきました。アン・ソンギという俳優を通じて私が愛してきた韓国の姿を日本人にも伝えたかったのです。日本人の中には自分は社会とはかけ離れた存在だと思っている人が多いですが、韓国人は違います。自分も他人もみんな幸せに暮らしていきたいという考え方に魅了されました」
村山氏の本は文章が簡潔でディテールが豊富だ。アン・ソンギの話題を中心に、当時の世相や映画をひも解いていく。アン・ソンギは「外国人が書いたため、より客観的だと思う」と語った。
アン・ソンギは古い花札遊びに早々に目覚めた小学生だった。徹夜の撮影で居眠りしないよう、スタッフたちが花札をさせたのだ。しかし、監督が『本番用意』と言うまで起きていても『スタート!』と言ったときには頭ががくんと下がり、居眠りしてしまうこともあった。
子役を卒業後は必死に勉強した。韓国外国語大学のベトナム語学科に合格したが、就職するころにはベトナム特需は終わっていた。
映画界に戻ったアン・ソンギは、現実的な映画作品に出演することを心掛けた。しばしば英雄役も演じたが、最も輝いていたのは「底辺の生活」を演じるときだった。『風吹く良き日』(80年)では田舎者の中華料理屋の出前、『曼荼羅(まんだら)』(81年)では煩悩にさいなまれる僧侶、『鯨とり』(84年)では元労働運動家の放浪者、『ディープ・ブルー・ナイト』(84年)ではアメリカンドリームを追いかけ偽装結婚する男、『トゥ・カップス』(93年)では汚職警察官…。
権威ある映画賞「大鐘賞」で主演男優賞を5回も授賞し、トップスターとして不動の地位を確立したが、2000年代に入りアン・ソンギは苦悩した。俳優仲間のパク・チュンフンに「映画をやめようかな」と弱音を吐いたこともある。さまざまな紆余(うよ)曲折を乗り越え、50代になったアン・ソンギは『ラジオ・スター』(06年)で観客を泣き笑いさせた。
アン「年を取って脇役のオファーが来始めたたころ『こういう役でなければやらない』と考えていたら、そこから抜けられなかったでしょう。水のように時代の流れに沿っていくとしても、存在感がなくなってしまってはおしまいです。新人俳優はたいてい人気・名誉・富を夢見ます。でも、私はそうではありませんでした。幼いころから映画や映画に携わる人々を見てきたので、逃してはいけないのは映画を撮る一瞬一瞬だけと思いながら生きてきました」
村山「笑いながらおっしゃっていますが、とても苦しまれたと思います。『俳優個人の問題ではなく、40-60代の俳優を生かさない韓国映画界の問題』をとらえ、世界を広く見つめながらその難しさを受け入れているところに共感しました」
アン「来年は還暦を迎えますが、私は『今後このような方向に進みたい』という考えはありません。私自身が何かしようと動くのではなく、オファーが来たときに感動があるものを選択しようと思います。出版社から本をいただきましたが、韓国版のタイトルは本当にいいですね。そう、青春でなくてもいいんです。気持ちが楽になるでしょう。これからもいろいろとやることがありますよ」
金秀恵(キム・スへ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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