切頭山殉教博物館
カトリック教会では、丙寅教獄から100周年を迎えた1966年、殉教者に関する博物館を蚕頭峰に建てた。殉教の地となった岩壁の真上に建つ博物館には現在、殉教者28人の遺骨を納めた地下墓地がある。その上の博物館には、福者(カトリック教会で、死後に徳や聖性を認められた信徒に与えられる)の称号を受けた殉教者たちのレリーフや、韓国内外の信者たちの文章、朝鮮王朝時代の拷問に使われた道具、丙寅..
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切頭山殉教博物館
カトリック教会では、丙寅教獄から100周年を迎えた1966年、殉教者に関する博物館を蚕頭峰に建てた。殉教の地となった岩壁の真上に建つ博物館には現在、殉教者28人の遺骨を納めた地下墓地がある。その上の博物館には、福者(カトリック教会で、死後に徳や聖性を認められた信徒に与えられる)の称号を受けた殉教者たちのレリーフや、韓国内外の信者たちの文章、朝鮮王朝時代の拷問に使われた道具、丙寅洋擾の当時にフランス艦隊が作成した漢江の水深図、興宣大院君が描いたランの花の絵など、朝鮮王朝とカトリックの関係史が一目で分かる、さまざまな資料や遺物などが展示されている。また、聖堂(カトリック教会)や博物館の中には、李檗(イ・ビョク)、李家煥(イ・ガファン)、丁若鏞(チョン・ヤギョン)といった、カトリックと関係が深い朝鮮王朝後期の学者たちの遺物が展示されており、広場には金大建(キム・デゴン)、南鍾三(ナム・ジョンサム)の銅像や顕彰碑もある。建物のデザインだけでなく、その周囲にあるさまざまなモニュメントなども、どれ一つとして見逃せない美しさを見せている。韓国のキリスト教布教の過程を学ぼうと、外国の多くの観光客たちがここを訪れている。
殉教者記念像
切頭山で初めて処刑された殉教者の家族、イ・ウィソン(洗礼名フランチスコ)と、妻のキム・イェップン(マリア)、息子のポンイクをモチーフにした記念像は、切り落とされた首を胴体で支える形をしており、むごたらしい殉教の様子を連想させる。
刑具石
丙寅教獄の当時、絞首刑を行うための道具として考案された。1886年、韓仏条約の締結により、信教の自由が認められたのを受け、土の中に埋められたもので、忠清北道槐山郡延豊面の公所(小規模な教会)で発掘され、1974年に蚕頭峰へ移設された。前方の穴に信者の頭部を当て、首に掛けた綱を後ろ側の穴へ引き寄せることによって、信者を窒息死させるという方法で、絞首刑が行われた。
キム・デゴン神父の銅像
キム・デゴン神父の生誕150年を記念して制作された。銅像を制作する前に、まず考証作業や科学的な実測調査に基づいて宗教画が制作され、さらにこれを基にして銅像が建立された。
聖母洞窟
1858年、フランス・ルルドのマッサビエルの洞窟に聖母マリアが現れたという説話にちなみ、世界各国にマッサビエルの洞窟を真似た洞窟が造られた。
殉教者記念塔
殉教者記念塔は、切頭山で処刑されたことが判明した、イ・ウィソンの家族など殉教者28人や、数多くの無名の殉教者たちを称えるために建立された。主塔は、殉教者を縛りつけたいすをかたどったモニュメントの下に、16人の殉教者たちの姿が刻まれている。右側の塔には、切り落とされた殉教者の頭をかたどったモニュメントが乗せられ、「切頭山」という地名を象徴するかのようだ。また、主塔と同様に、33人の殉教者たちの姿が刻まれている。一方、左側の塔は、オベリスク(古代エジプトなどで神殿などに立てられた記念碑)の様式で造られており、切頭山で殉教した無名の殉教者たちの姿が刻まれている。
楊花津外国人宣教師墓地
切頭山の近くには、殉教した外国人宣教師やその家族、開国後に西洋の文明を伝えた人物、韓国の独立運動を支援し、民族精神に目覚めさせた人物などが眠る墓地がある。ここは朝鮮王朝時代、楊花鎮営があった場所だが、1886年に第26代国王・高宗がこの地を下賜し、外国人墓地として使用し始めて以降、現在までに13カ国の約500人が埋葬された。
仙遊島公園
漢江に架かる楊花大橋を北側から渡り、終点に近付くと、右側に仙遊島公園が見えてくる。橋の真ん中から公園を見渡せるという、ほかに類例がない面白い光景だ。漢江の中州・仙遊島にはかつて浄水場があったが、閉鎖された後、跡地を活用し、自然公園として整備した。漢江の下流方向へ沈む夕陽や、北漢山、南山などを見渡せる仙遊島は、朝鮮王朝時代の画家、チョン・ソン(1676-1759)が「漢江八景」の一つに数えたほど、風光明媚な場所として知られた。その地名も、神々が遊んだ場所だという伝説に由来しており、それだけ景色が素晴らしかったということを今に伝えている。だが、近代化の道を歩む中、ここにはソウル市南西部の水道水を供給する浄水場が造られた。市民の生活のために欠かせない施設だったが、古くから知られた美しい景色は台無しになった。そして2000年、浄水場が閉鎖された後、韓国の現代建築家たちの手により、自然公園としてよみがえることになった。
公園内には、漢江の歴史や動植物が一目で分かる、漢江歴史館や水質浄化公園、時の庭園、水遊び場などの施設がある。このほか、水生植物園、200席を有する円形の小劇場、カフェテリアなどもあり、また白樺の森や、イースタン・コットンウッド(北米原産の樹木)の並木が整備されているため、ゆっくりと散策するのにふさわしい場所だ。
緑の柱の庭園
三つのタンクから出てくる水が、温室や水質浄化公園の中を流れる。ここでは、水生植物が育つ階段式の水槽を経て、水がきれいになっていく過程を、外から見ることができる。さらにこの水が、水遊び場やヨシ原の水路を経て、水生植物園や時の庭園へと流れていく。
文_ ペ・ムンギョン 写真_ チェ・ヨンデ
atti/朝鮮日報日本語版
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