K-POP
[BTS10周年]プロデューサーPdogg 第2章を歩むメンバーが発するメッセージに期待
【ソウル聯合ニュース】「メンバーが(兵役を終えて)再び集まる時期になれば(ほとんどの)メンバーは30代になっているだろう。30代を迎えたBTS(防弾少年団)が世界を見つめ、発信する新たなメッセージに期待してほしい」――。 韓国の人気グループ、BTSの数々のヒット曲を手掛けた音楽プロデューサー、Pdogg(ピードッグ、39)はこのほどBTSのデビュー10周年を迎えて聯合ニュースのインタビューに応じ、「メンバーたちはグループ活動をする時にシナジー(相乗効果)が生まれるという点を共通認識として持っている」として、グループの未来をこのように語った。
また「BTSのメンバーは、これほどのワールドスターになればいわゆる『てんぐ』になってもおかしくないのに、いつも通りで変わらない」として「(グループの活動休止中に)各自足りない点を補完し、発展するだろう」とも述べた。 デビュー曲「No More Dream」から昨年発表した「Yet To Come」までBTSのヒット曲のほとんどの作曲とプロデュースを手掛けたPdoggは、BTSの世界的成功により2019年から今年まで5年連続で韓国国内の著作権料収入1位となり、韓国音楽著作権協会主催の著作権大賞を5年連続で受賞した。 Pdoggは「BTSのメンバーは同じ道を歩む音楽的パートナー」としながら「彼らがする話を私の音楽プロデュースによって大衆に伝える、相互補完的関係を結んでいる」と説明する。 BTSについては、インタビュー中も終始「自分自身の話をするグループであり、その時代像を反映した率直な感情を表現するグループ」と強調。こうした点から「別の国の人々にもメッセージが届くのだろう」と成功の秘訣(ひけつ)を明かした。 Pdoggは、この10年間に経験した最高の瞬間として19年に英ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行ったコンサートを、最もチャレンジングな瞬間としては人気に火がついた「花様年華」プロジェクトの直前を挙げた。 「私がチャートの順位よりもBTSが『ブレーク』したと感じたのは、ウェンブリー・スタジアムでのコンサートだった。現地の観客の熱唱が途切れないのを見て『成功した!』と感じた」。 また、「『花様年華』直前の14年、ファーストフルアルバムを発表した頃は苦しく悩んだ時間だった」として「いわゆるアイドル音楽の市場でファン層にアピールしなければならないが、当時は少し伸び悩んでいる感じがあった」と明かした。 13年にヒップホップアイドルとしてデビューしたBTSは、初期は反抗期に入った10代のメッセージを発信することに注力した。初期の曲を聞くと、広く知られたヒット曲とは多少趣が異なる。 Pdoggは「RM(アールエム、当時の芸名はラップモンスター)が練習生として入ってきて、(BTSを擁する総合エンターテインメント企業、HYBE=ハイブ=の創業者)房時赫(パン・シヒョク)議長が『この子は音楽の才能が飛び抜けているから、RMを中心に1TYM(ワンタイム)のようなヒップホップグループをやってみよう』と言ったのがBTSの始まりだった」として「初期は曲のパートもボーカルよりラップが多く、メインボーカルのJUNG KOOK(ジョングク)がラップも担当した。大衆が聞きやすい曲ではなかった」と振り返る。 一方で「当時メンバーはJIN(ジン)だけが20代初めで、残りは10代だった」として「学生の視角から社会を見る、同世代だけが感じられる幼い感性を音楽に盛り込もうとした」と強調した。 BTSのメンバーが発するメッセージの響きは10年が過ぎても変わらず、ストレートだが古くさくない。 Pdoggは「当時韓国で『ヘル朝鮮』という新造語が生まれ、特定の職業に就くことだけが正解だと考える雰囲気が広がったことにも影響を受けた」と説明した。 BTSは強烈なメッセージでK―POPファンの注目を浴びることには成功したが、苦しかったというPdoggの言葉のように、トップに立ったのははるかに先のことだった。「花様年華」シリーズで飛躍し、「LOVE YOURSELF」「MAP OF THE SOUL」シリーズで世界的スターになった。 なかでも「花様年華」シリーズの最初の曲である「I NEED U」は音楽番組で初めて1位を獲得した曲であり、「BTS神話」の始まりとして大きな意味を持つ。怒りや反抗を乗り越え、愛と挫折というさらに成熟した感情を込めた。
Pdoggは「この時期からメンバーが20代前半の成人になって学校の話はもうできなくなり、20代で感じる感情を表現して音楽的に成長しなければならなくなった」として「メンバーの成長ストーリーを反映した変化が必要で、BTSがヒップホップからジャンルの幅を広げるきっかけになった」と指摘した。 BTSはこれ以降、「FIRE」「血、汗、涙」「Spring Day」「DNA」「Fake Love」「IDOL」などのヒット曲を連発する。 Pdoggは「大衆性よりは当時のトレンドに合わせ、どうすればパフォーマンスが格好良く見えるかに主眼を置いた」という。メンバーも20代半ばにさしかかり、成功体験を繰り返すことでメッセージも少しずつ洗練されていった。 「メンバーたちは成功を体感することで、自分たちのメッセージの重みに気付いた。望んだ場所よりもはるかに高く上り詰めた時のむなしさ、『自分がこの位置にいてもいいのか』というさまざまな考えを音楽に盛り込むことで、自然と物語が完成した。メンバーが歌詞の90%以上を書いているため、実際の考えを反映したアルバムが生まれざるを得なかった」。 BTSとPdoggは、18年にサードフルアルバム「LOVE YOURSELF 轉 'Tear' 」でK―POP史上初となる米ビルボードのメインアルバムチャート「ビルボード200」1位を獲得。2年後の20年には初の英語曲「Dynamite」で夢にまで見たビルボードのメインシングルチャート「ホット100」1位を達成した。 Pdoggは初のビルボード1位のニュースを聞いても「次の準備はどうしよう、大変だ」という考えしか浮かばなかったと笑う。
ただ、英語詞のソフトなディスコポップ「Dynamite」の大成功については「過去のBTSの音楽から幅が広がった曲」として「ヒップホップアイドルとしてスタートしたが、グローバルポップバンドとして世界に名を刻んだ」と意義付けた。 BTSは昨年の「Yet To Come」を最後に兵役による活動休止期間に入り、ソロ活動を活発に行っている。一部のソロ曲の作曲も手掛け、活発な音楽活動を続けるPdoggは「ソロ活動がアーティストの発展に役立つと感じた」と語る。 BTSのメンバーは軍入隊を前に一層音楽的意欲を燃やしているとして、10年間見守ってきてこのような点を尊敬すると強調した。 「13年のデビュー時に個性がはっきりしていたメンバーはRMとSUGA(シュガ)程度で、他のメンバーは未完成だという印象が強かった。しかし、音楽活動をしながらアイデンティティーが明確になり、各自の個性を見つけていった。BTSというグループを高く評価するのは、まさにそういう部分だ」。