ヨモギは春の香りだ。映画『リトル・フォレスト 春夏秋冬』では、キム・テリ(ヘウォン役)が春が来るとヨモギやアカシアの花を揚げてサクサクの食感を楽しむ。映画のように、ヨモギのてんぷらは流水でヨモギを洗った後、冷水に30分ほどつけてから水を切り、てんぷら粉をからめて揚げればよい。衣よりヨモギがたくさん見えた方がほいしい。

 ヨモギはまさに祖母の食材だ。幼いころ、春になると祖母は市場でヨモギを1かご買ってきてヨモギスープをつくった。あのときは薬草のような香りが嫌だったが、1杯たいらげると「ああ、よく食べたね」とほめられた。30年が過ぎ、祖母の年齢になった母親がヨモギスープをつくり始めた。ヨモギが好きな若い人たちは「食の好みがおばあちゃんみたい」と言われる。

◆全羅道と慶尚道のヨモギスープ

 「小学校のときまで海南で暮らしていました。春になると妹と川辺や山を歩き回ってヨモギを摘みました。そのヨモギを祖母は一度ゆでた後、煮干しだしのスープにみそを溶き、ヨモギスープを作ってくれました。『ヨモギの香りを損なうからみそ以外は何も入れてはいけない』と言い聞かせながら。ヨモギのジョン(切った魚、肉、野菜などに味を付けた後、小麦粉をつけて油で焼いた料理)も、ヨモギともち米の粉だけを使ってつくりました」

 1920年代、全羅道海南郡で「チョンイル食堂」を営んでいた母方の祖母の調理法を受け継ぎ、ソウル市江南区駅三洞で3代続く食堂を手掛けている海南チョンイル館イ・ファヨン代表の「春の思い出」だ。イ・ファヨン代表はこうしてつくった「みそヨモギスープ」にご飯を入れ、5分ほど待ってから唐辛子キムチ1切れをのせて食べたという。唐辛子キムチはこの店を代表するおかずの一つで、干したダイコンと塩漬けした青唐辛子を粉唐辛子とエビの塩辛で和えたもの。一口食べてみると、唐辛子キムチのピリッとしたさわやかさが「みそヨモギスープ」の香りとよく合う。イ・ファヨン代表は「ヨモギとご飯ののどごしがソフトなので、子どもたちもよく食べている」と語った。

 近くの慶尚道では、春になると「メイタガレイとヨモギのスープ」をよく食べる。統営市が代表的だ。詩人パク・チュンも散文集『泣いたからと言って変わることは何もないかもしれないけれど』でこう言っていた。「私は統営に向かう途中、何を食べてお腹を満たすべきか悩んだ。もし春だったら、あれこれ考える必要もなく、香りのよいメイタガレイとヨモギのスープを食べただろう」

 メイタガレイとヨモギのスープは、下ごしらえしたメイタガレイをぶつ切りにし、ダイコンやネギ、昆布を入れてだしを取ったスープに入れて煮込む。味付けは唐辛子と塩だけで、メイタガレイに火が通ったらヨモギを加え、すぐに火を消す。澄んだメイタガレイのスープにヨモギの香りを加える、というように。メイタガレイのスープだけでもすっきりしているが、これにヨモギが入るので、酔い覚ましにもピッタリだ。統営では「プンソ食堂」が有名だが、ソホ市場ではどこに行っても平均以上。ソウルでは乙支路の「忠武家」が有名だ。

◆コロナ肥満にはヨモギダイエット

 ヨモギは世界のどこでもよく育つ。フィンセント・ファン・ゴッホが愛した酒アブサンにもニガヨモギやアニス、ウイキョウなどが使われている。餅だけでなく、パンやケーキにもよく合う。このときも大切なのは「不要な食材を加えないこと」だ。小説『太白山脈』でも「ヨモギ餅だと言うので蒸しておいたら、餅とは名ばかりで、米粉で何とかかためたヨモギの塊だった。それを臼に入れてついたら米の粘り気が少しよみがえり、ヨモギがやわらかくなって餅のようになった」と書かれている。

 戦争で廃墟になった場所で、人々はヨモギと米だけでつくったヨモギ餅で正月を迎えた。だが、ヨモギ餅はこのようにして食べるのが一番おいしい。ほかにもう一つ加えるとしたら「きなこ」だ。ヨモギともち米でつくったインジョルミを一口大に切り、きなこをまぶして食べる。「ナメジュンヒョン餅店」が有名だ。

 パンも、シアバターのように味が強くないものであればヨモギと合う。ソウル市内の合井駅近くにあるベーカリー、ヤミヨミルの「ヨモギシアバター」は、筋が見えるほどヨモギをたくさん使っている。イチゴジャムもぬらず、そのまま食べるのがいちばんおいしい。大邱近代通りあんぱんの「ヨモギパン」はヨモギとパン、甘くないあんこの調和が見事だ。

 ヨモギはダイエットにもよい。低カロリーで、ヨモギに含まれるクロロフィル成分が脂肪の代謝を高め、やせるのを助ける。ヨモギは新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、家にこもりがちになり、ひまんに陥った人たちが春を感じられる、最適の食品と言えるだろう。

イ・へウン記者

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