さまざまな分野の技術屋たちと若い作り手たちが共存

 人々が笑いながら冗談で言った。「あらゆる部品が集まるこの建物をひと回りすると、戦車も潜水艦も作れるよ」。ソウル市内にある「セウン(世運)商街」の話だ。商街とは複数の店が入居する商業ビルのことで、建物ができた1968年にソウル市長が「世界の機運がここに集まる」という意味で「世運」と名付けたのだが、世界中のさまざまな電子機器や機械部品がここにすべて集まったことだけは確かに言える。

 ソウル市の中心部・鐘路区にある「再びセウン商街」へ行った。「再びセウン・プロジェクト」(セウンには商街の名称「世運」と、韓国語で「建てた」という2つの意味がある)は、世運商街から清渓商街、大林商街、三豊商街、豊田ホテル、シンソン商街、チンヤン商街までの7つの商街が含まれている。1967年に建てられた当時は韓国初の豪華住宅・商業複合型ビルだった。しかし、80年代からソウル中心部の主な商業地域が別の地域に移り、急激に衰退した。その後、2014年3月からかつての世運商街の雰囲気を維持しつつ商業地域を活性化させようという「再びセウン・プロジェクト」が推進された。長さ1キロメートルにわたり立ち並ぶ商街の内部を楽に見て回りたいなら、「一歩、二歩、セウン」ツアー参加をおすすめする。住民ガイドが同行してセウンが持つ空間や物語を教えてくれるだけでなく、何十年も製造業に従事してきた技術者や職人たちとも会えるからだ。住民ガイドの中には英語・日本語・中国語など外国語でのツアーが可能な人もいるので、詳しくはホームページの連絡先へお問い合わせを。

 ツアーは「再びセウン広場」から出発して3階デッキに向かう。デッキに立つ大きな「テコンV」の「セボット」(「セウン」と「ロボット」の造語)」が立っている。セボットは商街に入店している職人と青年メーカー(若い作り手)が作ったこの商街のマスコットで、近づくとセンサーで人の動きを感知し、あいさつをして訪問者を迎えてくれる。

 「再びセウン・プロジェクト」でリニューアルされた「ソウル屋上」は商街の9階にある。パノラマ屋上からは宗廟や広蔵市場、南山などソウル中心部のランドマークを一目で見ることができる。また、さまざまな形のベンチが設置されており、一休みできる。

 セウン商街は1967年にできた韓国初の住宅・商業複合型ビルだっただけに、高層住宅スペースには政治家や芸能人など有名人たちが住んでいた。5階は韓国の著名な建築家・金寿根(キム・スグン)が採光を念頭に置いて設計したユニークな構造がそのまま保存されており、見ることができる。その構造はいくつかの映画作品の中でも確認できる。ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した『嘆きのピエタ』や、アジア各国の有名俳優たちがこぞって出演した韓国のアクション映画『10人の泥棒たち』などがその例だ。

 中庭に出ると、長年の技術に磨きをかけた「セウン・マイスター(meister)」と呼ばれる職人たちに出会える。セウン・マイスターは電子機器、ゲーム機、特殊装置などの分野で少なくとも20年以上の経験を積んだ人で、若い作り手たちの技術メンター(指導者・助言者)としても活動している。若い作り手たちはセウン商街のスペースを1年間借りて使用できるが競争が激しく、審査を経て選抜されて最大2年まで延長できる。

 3階歩行デッキには5月31日に新しくオープンした「セウン部品図書館」がある。ここには企画展示を通じてセウン商街で生産される代表的な製品が集まっていて、必要ならば購入も可能だ。

 「再びセウン・プロジェクト」の目玉は、セウン商街-大林商街間にあったが2005年の清渓川復元時に撤去された3階建て相当の高さの公衆歩行橋を、長さ58メートルの「再びセウン歩行橋」として復活させたことだ。ソウル市は来年、三豊商街とチンヤン商街、南山循環路をつなぐ空中歩行路の工事に着手、2020年までに完成させて宗廟から南山まで約1キロメートルの区間を歩いて巡れるようにする計画だ。この計画は「歩行者に優しい都市ソウル」という現在のソウル市のスローガンにも一致する。

 「再びセウン・プロジェクト」は、「再び歩くセウン(歩行再生)」「再び見つけるセウン(産業再生)」「再び笑うセウン(共同体の再生)」という3つのスローガンからなる。ここでは空間の再生だけでなく、以前のセウン商街に入店していた企業と、スタートアップ企業が共に働く空間であるという点に意義を持つ。「再びセウン商街」はこのようにかつての姿を維持しつつ、少しずつ変わっていく都市再生の一部として、ソウル市民と世界の人々を待っている。

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