産業化の象徴である石油備蓄基地から市民のための文化空間に

 弘益大学エリアは明洞と並んで、ソウルを訪れる外国人が必ずと言っていいほど立ち寄る観光スポットの一つだ。ソウルを代表する、若々しく洗練された弘益大学エリアから車で10分もかからないところに、ソウルとは思えないほど神秘的な空間がある。麻浦文化備蓄基地だ。

 ここは1970年代、中東戦争により世界中が第1次オイルショックに見舞われた後、有事に備え、石油備蓄基地を目的としてつくられた。そしておよそ30年後の2002年、ソウル市民の1カ月の石油消費量に当たる6907万リットルの石油を保管していたこの場所は、サッカー・ワールドカップ韓日大会における安全性の問題により閉鎖された。その後、ここはちょうどいい活用案を見いだせず、10年以上放置されてきた。

 第1級保護施設としておよそ40年以上にわたり一般人の出入りが規制されてきたこの場所が2013年、ソウル市の都市再生事業の一つに選定された。そして4年後、石油備蓄基地から文化備蓄基地へと生まれ変わった。

 実際に目にした文化備蓄基地の姿は驚くべきものだった。サッカーグラウンド22個分に当たる14万平方メートルの敷地に六つのタンク(T1-T6)があり、一般に公開されることなく40年以上たったとは信じられないほどだった。火力発電所から美術館に変身した英国ロンドンの美術館「テート・モダン」やガス貯蔵庫を住居文化施設へと生まれ変わらせたオーストリア・ウイーンの「ガソメーター」といった、都市再生建築物が頭に浮かんだ。しかし、ここは都会の風景とマッチしている上記の名所とは異なり、自然と調和をなしている。

 入り口を入ると、すぐ目の前に広がっている野外広場T0(文化広場)では、さまざまなイベントが繰り広げられる。主に大規模な公演が行われるこの場所では、夏になると子どもたちのための水遊び場がオープンし、夜には市民たちの五感を満足させる夜市が開かれる。

 じりじり照り付ける太陽を避け、最初に入ったのはT1(パビリオン)だった。ここは多目的コミュニケーション空間で、舞踊公演やコンサートが開催される。パビリオンはほかのタンクに比べかなり涼しいのだが、これは地熱エネルギーを利用し、冷やしているからだという。

 タンク解体後に残った構造物にガラスで壁と屋根をもうけ、過去と現在の建築技法が調和をなしているパビリオンに立っていると、まるで山の心臓に入ってきたような気分になる。

 公演会場であるT2は、下部に屋内公演会場が、上部に野外公演会場がある。特に山に囲まれた野外公演会場は、「都市再生」と「自然」が調和をなしているよい例だ。公演のない日には休憩場所として活用され、家族連れや恋人たちが時間を過ごすのにピッタリの空間と言える。

 T4(複合文化空間)は既存のタンク内部の独特な形態をそのまま生かした、開かれた空間だ。真っ暗なランク内部に天井から降り注ぐ日差しが何本ものパイプの柱とマッチし、よりいっそう美しい。ここでは公演だけでなく、環境・文化・芸術などさまざまなテーマのプログラムを運営している。

 T5(物語館)は、文化備蓄基地の歴史がつまった博物館だ。タンクの内外、コンクリートの壁に至るまで、すべて確認し、体験することができる空間で、麻浦石油備蓄基地が文化備蓄基地へと生まれ変わるまでおよそ40年間の歴史が記録されている。

 最後に、雄大な規模で最も目を引くT6(コミュニティーセンター)は新築の建築物で、講義室や会議室、カフェテリアなど、コミュニティー活動を支援する空間。T6も「都市再生」というキーワードに合わせ、1・2番タンクが解体されるときに出た鉄板を再活用し、あらためて組み立てて建てられたことからあちこちさび付いており、映画に出てくる要塞のように見える。

 多くの人が「ソウル」と聞いて思い浮かべるのは、「洗練」「せわしい」といった現代的なイメージだろう。しかし、麻浦文化備蓄基地で感じたソウルの姿は少し違っていた。洗練された感じと70年代の産業化時代のソウルが共存しており、忙しく息が詰まりそうな世の中ではなく、一息つける余裕が感じられる空間だった。産業に集中し急速に成長を成し遂げた過去から、「都市再生」を通じ、人間中心のソウルへと生まれ変わっている。このような姿が、「都市再生」を通じて見せたかったソウルの新しい姿ではないだろうか。

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