映画
映画『軍艦島』、韓国の歴史学者はどう見たか
公開からわずか8日で観客動員510万人を突破した映画『軍艦島』(リュ・スンワン監督)は、植民地時代末期に多くの朝鮮人が強制徴用された長崎県南西部の「端島」を舞台にしている。1945年当時、500人から800人の朝鮮人がこの島の海底炭鉱で強制労働に苦しんだ。「軍艦島」は、日本の軍艦に似ていることから付いた名前だ。
映画では、朝鮮人強制徴用という歴史的事実に脱出劇という虚構を混ぜ入れた。そのため、歴史的事実と映画的想像力とを分かつ正確な境界にも関心が集まった。『日本帝国と朝鮮人労務者供出』を出版した強制動員研究者のチョン・ヘギョン博士(写真)に、気になるところを整理してもらった。チョン博士は、首相の下にある「対日抗戦期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会」で11年にわたり調査課長を務めてきた人物。
(1)映画のように、数百人の朝鮮人強制徴用者が集団で脱出した?
間違い。「徴用者は酷使や飢え、疾病に苦しみ、脱出の試みはしばしばあった。第2次大戦中は、逃亡者を監視するため、在郷軍人会のメンバーが銃を持って警備に立った。近くの島へ泳いで逃げようとして溺死するケースも多く、捕まったら過酷な罰が待っていた。しかし、映画のように集団脱出を試みたり、日本軍と武力衝突したという記録や証言はない。映画の後半は想像力の産物に近い」
(2)軍艦島にいたのは朝鮮人強制徴用者だけ?
間違い。「強制徴用者の証言や記録を見ると、映画『軍艦島』の舞台となった端島の炭鉱には、朝鮮人500-800人のほかにも、中国人や連合軍捕虜などがいた。44年6月に中国人労働者205人が端島の炭鉱に入り、翌年8月までに15人が死亡したという現地鉱業所の記録もある。また朝鮮人の生存者らは『端島炭鉱には中国人だけでなく、米軍捕虜もいた』と証言している」
(3)「軍艦島」とは朝鮮人強制徴用者が付けた名前?
間違い。「端島で石炭が発見されたのは1810年ごろ。1870年代から本格的な採掘が始まった。1916年には、日本初の鉄筋コンクリート造りのアパートが建てられた。しかし、海底下1000メートルの石炭を掘り出す『海底炭鉱』だったので、当時も死亡者や負傷者は続出した。労働環境が劣悪だったことでも悪名高い。そのため、1920年代から端島は『軍艦島』や『監獄島』と呼ばれた」
(4)朝鮮人徴用者は賃金の搾取にも苦しんだ?
正しい。「1938年、当時の日本は国家総動員法によって人的・物的・資金的という三重搾取構造を作った。強制動員の過程で、朝鮮人徴用者は汽車賃、船賃、食事代に至るまで借金を負った。作業場に到着した後も、日本企業は宿泊費や食費はもちろん、靴やつるはし、布団の利用料も取った。この借金は、1年以上働かないと返すことができなかった。すずめの涙のような賃金は、郵便貯金や年金という名目で再び搾取された。未収金は朝鮮人の脱出を防ぐ手段でもあった。事実上の人身売買にほかならなかった」