▲最近、ソウル市鍾路区三清洞のカフェでインタビューに臨んだイ・ジュンイク監督。映画『朴烈』について「20年ほど前、中国・上海を舞台に独立運動家たちの姿を描いた映画『アナーキスト』(2000)を制作したときから準備していた作品」と語った。/写真=パク・サンフン記者

 イ・ジュンイク監督(57)は約束より20分ほど早く、ソウル市鍾路区三清洞のカフェに現れた。空色のシャツにジーンズという恰好でつかつかと歩いてくると、息つく間もなく「お会いできてうれしいよ。さて、お話しよう」と言った。『王の男』(2005)、『王の運命(さだめ) 歴史を変えた八日間』(2015)を手掛けたイ監督。新作公開前に言いたいことが多いようだった。

 6月25日公開の映画『朴烈』は、アナキストの独立運動家・朴烈(パク・ヨル)=1902-74=の生き様と闘争をスクリーン上でリアルによみがえらせた。1923年の関東大震災直後、皇太子暗殺を謀った罪で投獄され、法廷で「天皇制」の虚偽と日本による朝鮮人虐殺をとがめた人物だ。イ監督は「帝国の心臓・東京で、文明国を名乗っていた日本の司法制度を逆用し、日本を手玉に取って戦う、堂々とした生き様を見せたかった」と語った。「韓国映画では、独立軍は高等係刑事や警務局長くらいの相手と戦う。目の付け所があまりに低いのではないか。朴烈が戦う相手は日本の内閣と裁判所、皇室だった」

 イ監督は「朴烈の生き様には、良識ある韓日両国の市民が共感し、植民地時代を理解するいとぐちになる」とも語った。朝鮮の青年・朴烈と、彼の恋人にして同志だった日本の女性・金子文子は、「天皇制」反対の論理、人権・自由・平等に対する現代的な概念と認識を共有していた。「朴烈は『日本の権力には反感があるが、民衆には親近感がある』と語っている。獄中の朴烈には、彼の意思を継ぎたいという両国の知識人による面会が相次いだ」。イ監督は「その時代の人物の能動的な生きざまを見ることなく、事件だけを細切れに見るならば、『組分け』から抜け出すことはできない。歴史認識がこの先明確になるよう、共感の材料を提供したかった」と語った。「映画で朝日新聞や朝鮮日報など実際にある新聞を出し続けたのも、それが理由。この映画は反日映画ではなく、過ちを認めて和解する可能性に関する物語だから」

 この映画の中で日本の閣僚は、こっけいなほど右往左往する。「内務大臣の『水野』(キム・イヌ)が、とある有名お笑い芸人とよく似ているようだ」と言うと、イ監督はしばらく笑った。「意図的に戯画化はしたが、史料を見れば、実際の内閣の様子も似たようなもの。歴史を厳粛なものととらえすぎると、真実が遮られてしまう。総督府警務局長時代に三・一運動過剰鎮圧の責任を負い窮地に陥った水野が大震災のとき朝鮮人を犠牲にしたのは、歴史的事実だ」

 イ監督は「歴史には流れがあるだけで、偶然はない」と語った。「1919年の三・一運動は、その前年から日本全域で鉱山労働者・農民の暴動が相次いでいたから可能だった。関東大震災の後、上野公園や皇居前に集まった群衆の怒りを見て日本の内閣が恐怖したのも、その経験があったから」。朴烈の法廷闘争も、そうした時代の流れを読んだことで可能だった。

 この映画がヒットしたら、朴烈役のイ・ジェフン(32)と金子文子役のチェ・ヒソ(30)が一番の功労者。イ監督は「若い俳優たちはとても立派で、自分がその年だったころを考えると、本当にむちゃくちゃだったという思いを抱くほど」と語った。「俳優が感情に酔ってしまうと物語の本質が乱れるということを、シナリオを読むなり理解していた。ユ・アイン、カン・ハヌル、パク・ジョンミン、イ・ジェフン、チェ・ヒソ…。韓国映画、若い世代を見ると、無条件に希望が持てる」

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