イ・ジュンイク監督(57)は映画『王の男』(2005年)で観客動員1000万人を達成した。英祖と思悼世子の物語『王の運命(さだめ) 歴史を変えた八日間』(2015年)、詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)とその親友だった宋夢奎(ソン・モンギュ)の物語『空と風と星の詩人 尹東柱の生涯』(2015年)では、人間の内面を表現した。そして6月28日公開の『朴烈』では、自らの領域をあらためて広げようとする新たな試みを示す。

 同作は戦前、東京都心で皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)暗殺を計画した朝鮮の独立運動家・朴烈(パク・ヨル)=イ・ジェフン=と、その同志にして恋人の金子文子(チェ・ヒソ)、アナキストグループ「不逞社」の仲間たちの物語だ。「不逞鮮人」とは当時、日本の植民統治に反対する朝鮮人を卑下した呼び方。その自虐的ユーモアが感じられるネーミングだ。

 1923年の関東大震災後、日本の内閣は爆発寸前の民心をなだめようと在日朝鮮人の虐殺を誘導し、朴烈を皇太子暗殺未遂犯として追い込んだ。「朝鮮には英雄、日本には敵としてふさわしい人物」を探していた内務大臣「水野」(キム・イヌ)の目に、朴烈はちょうどいい獲物と映った。しかしその判断は間違いだった。おとなしく警察に連行された朴烈は、自分に会いにきた朝鮮の記者に尋ねる。「記者貴族の諸君、この裁判が朝鮮で話題になるようにしてもらえないか」。死刑宣告を覚悟し、裁判を通じていわゆる「現人神」の天皇制の虚構性と朝鮮人虐殺を告発する「世論戦」を選んだのだ。手続きの正当性を有する文明国を自負していた日本の法廷は「日本帝国主義が維持されているのは、神聖さを装った天皇が悪魔的な権力で民衆に強要しているからではないか」と責め立てる朴烈と金子文子の発言を遮ることができなかった。皇室と内閣をあざけり朝鮮人虐殺を暴露する発言が、朝鮮の新聞を通じて報じられ、二人は植民地朝鮮人の英雄になった。

 イ・ジュンイク監督は「これまで植民地時代を扱った映画には厳粛・真剣であるべきというプレッシャーがあった。独立軍の活躍を英雄視したり、植民地の民衆の無念さを訴えようとするケースが多かった」と語った。「しかし朴烈には、『日本帝国主義など取るに足らない』という剛毅さがある。命を懸けてそれ実践する豪胆さもあった」。見方を変えれば朴烈は、映画『空と風と星の詩人』で描かれた詩人・尹東柱の「過激な鏡像」のようなもの。自分の勇気のなさを絶えず反芻していた尹東柱の内的渇望が詩に昇華したとするなら、朴烈は自ら死に向かって歩んでいく実践を選び、最終局面で逆説的な勝利を勝ち取る。イ監督は「実在の人物を通じて人と時代の真実を示したかった」と語った。

 感情を抑制したカメラワークは、本作のもう一つの美徳だ。朝鮮人少女の胸を竹槍で刺し、警察署内まで追いかけていって朝鮮人を虐殺した震災当時の自警団の蛮行を余すところなく映し出しているにもかかわらず、憤怒や痛みでじめじめしたものにはなっていない。むしろ、最も絶望的な状況でもぽんぽんジョークを飛ばし、しっかりしたキャラクターを通じて軽快かつ諧謔的な雰囲気を保っている。朴烈を演じた俳優イ・ジェフン(32)の功績も大きい。ややもするとオーバーに表現しがちな役にもかかわらず、やりすぎることなく、共感の持てる「人間・朴烈」を作り出した。金子文子役の女優チェ・ヒソ(30)もまた、「ツートップ」ながらいい塩梅で存在感を発揮した。

 本紙をはじめ韓日両国の新聞報道、公判記録や自叙伝・評伝などを通じた厳密な考証も評価に値する。イ監督は「法廷に立った朴烈が日本を厳しくとがめる言葉は全て記録に残っている通り」と語った。日本語のせりふが多い映画だが、日本の劇団「新宿梁山泊」に所属する在日韓国人や日本人俳優が多数出演し、完成度を高めた。

 ただし、当時最強の帝国の一つだった日本の閣僚の会議まで風刺的に描いたことについては、意見が分かれるだろう。場合によっては、朴烈の戦いが持つ重みが損なわれかねないからだ。言いたいことが多いからなのだろうが、上演時間129分というのも少し長いと感じるかもしれない。

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