トラベル
芸術家たちの足跡をたどりながら楽しむ旅 /釜山
金春洙(キム・チュンス)の詩「私が会ったイ・ジュンソプ」には、1950年12月から53年3月まで釜山で暮らしていた画家イ・ジュンソプが登場する。市内にある避難民たちの集落で、イ・ジュンソプは「凡一洞の風景」「ムンヒョン洞の風景」といった作品を描いた。実際にイ・ジュンソプが暮らしながら制作活動を行っていた東区凡一洞にはイ・ジュンソプ通りがある。住宅街にある狭い路地の壁には、イ・ジュンソプの一代記や作品、家族を懐かしがりながら書いた手紙が展示されている。まさに美術館のようだ。そこから急な階段を上ると、イ・ジュンソプ展望台があり、凡一洞一帯が一望できる。
釜山駅や釜山港大橋、海が見渡せる東区草梁洞の高台には柳致環(ユ・チファン)ポストがある。慶尚南道忠武市(現・統営市)出身で、「旗」「幸福」などの作品がある詩人・柳致環は、教師をしながら釜山と縁ができた。校長を務めた慶南女子高校、交通事故でこの世を去った東区佐川洞がポストの近くにある。作品に登場する「きょうもわたしはエメラルド色に光る空が広々と見渡せる郵便局の窓辺にやって来て君に手紙を書く」というフレーズにあるように、釜山の風景を楽しみながら手紙を書いてみるのもロマンチックだ。建物の屋上にある「ゆっくりポスト」に手紙を投函すると、1年後にそれが届く。日が沈んだ後、ここから美しい夜景を見るのもいいだろう。
音楽の時間、誰でも一度は歌ったことがあると思われる曲「ブランコ」を作曲した釜山出身の金水賢(クム・スヒョン)。指揮者クム・ナンセの父親でもある金水賢の名前が付いた「金水賢の音楽サロン」が中区大庁洞にある。同区瀛州洞に暮らし、6・25戦争(朝鮮戦争)のとき釜山に避難してきた多くの音楽家や文人たちに住まいを提供し、芸術活動を行いながら教師生活を送ってきた金水賢をたたえ、このサロンでは文化イベントや公演を行っている。ブックカフェもある。壁画が施された色彩村(大庁洞)に沿って散策するのもよいだろう。