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宅配便預かる隣人不在の時代、「お願い」もカネで解決
近ごろのように「お願い」にあふれた時代がかつてあっただろうか。「お願い」「お願い」と泣きつくようなフレーズを至る所で耳にする。
申京淑(シン・ギョンスク)の小説『母をお願い』(2008年)が200万部のベストセラーになって以来、「お願い」というタイトルのコンテンツが急増した。これに真っ先に便乗したのがテレビ番組だ。男性タレントが娘と一緒に出演するバラエティー番組『日曜日が好き』(SBS)のコーナー「パパをお願い」、有名人の冷蔵庫にある食材でシェフが料理の腕を競う『冷蔵庫をお願い』はタイトル便乗の成功例だ。視聴率24%を上回る週末ドラマのタイトルも『お願い、ママ』(KBS第2)だ。化粧品メーカーでは「私の肌をお願い」という名前のパックを発売した。インターネット・ショッピング・サイトで販売されているダイエット補助食品の広告コピーは「私のお肉もちょっとお願い」だ。
「お願い」というフレーズが大衆にウケているのは、逆説的に言えば「お願い」が貴重になっているからだ。「願い」の意味を辞書で見ると、「何かをしてほしいと求めること」と書いてある。してくれたことへの見返りに関する約束のようなものはない。ところが、カネが一番の世の中で、タダで何かをお願いすることは不可能になった。以前ならお隣さんやお向かいさんにお願いできたことも、今ではためらわれる。宅配便の荷物を留守中に預かってくれるお隣さんがおらず、無人宅配ボックスができた。親兄弟も同じだ。40代の共働き主婦は「キムチや総菜を送ってくれる実家の母に、今はお金を送っている。そうした方が気が楽」と語った。家族という共同体や隣近所というコミュニティーの概念が希薄になった時代、あらゆる労働やサービスが金銭に換算されているというわけだ。
子どもや高齢者の世話をしてくれるサービスが登場してかなりたつ。「お父さん(お母さん)をお願い」という文が不自然に聞こえなくなったのは、家族を他人にお願いすることが一般的になったからだ。好きな歌手のサインをもらいたい、あるいは数に限りのある服を買いたいが、自分で並ぶ時間がない人たちは「行列代行アルバイト」を雇って10万-20万ウォン(約1万-2万円)を支払う。夜遅く帰宅するので洗濯ができない会社員のために、深夜0時に代わりに洗濯をしてくれる「洗濯物回収・配達サービス」も人気だ。こうした業者たちは当然、「お願い」という商号を店の名前に使っている。
「お願い」がよく使われているもう一つの理由は、情報や商品が洪水のようにあふれているからだ。「決定障害」という言葉が最近流行しているが、優柔不断で何かを決められないという現象をあおる無数の情報は、こうした人々を専門家の元へ走らせる。どんな化粧品が肌にいいのか、どんな花を家に飾ったらいいのかさえ分からず悩む人のために「キュレーション(専門家がコンテンツや商品を選択・提供すること)」サービスもできた。雑誌の定期購読契約のように料金を払えば、定期的に化粧品や花を選んで家に持ってきてくれる。大衆文化評論家のキム・ホンシク氏は「社会が個人に要求する目標値がとても高くなったが、個人はそれを満たすだけの能力がないので、専門家や代理人を探してお願いする。こうした現象には常に受け身で、責任を回避したがる現代人の性向が現れている」と語った。
「お願い」を初めてタイトルに使ったのは、チョン・ジェウン監督の映画『猫をお願い』(2001年)。高校を卒業して社会に出た20代の女性を描いた秀作だ。道で拾った猫を預かり合って一緒に育てる。人情が薄い社会を経験していく主人公たちは、猫を預けるように自分のことも誰かに任せたいと思っている。ひょっとしたら一番お願いしたいのは父親でも母親でもなく、自分自身ではないだろうか。心の持っていき場も、より所もない現代人の不安を描いた今という時代の悲しき自画像だ。