スターインタビュー
インタビュー:「韓国の顔」になったイ・ヨンエ (3)
イ・ヨンエは最近、自宅横の韓屋(韓国の伝統家屋)をリフォームし、小さな工房にした。双子の子どもたちのための化粧品をつくるためだ。ツバキや高麗人参、海藻の抽出物などを用いた天然化粧品を自ら開発したイ・ヨンエは、ソウル市鍾路区三清洞に店をオープンしたほか、香港のデパートにも入店した。イ・ヨンエは「子ども用ウエットティッシュに有害成分が多く含まれているという話を聞き、(化粧品づくりを)始めただけ」と語った。
-女優の名前をかけて商品を販売するのは負担ではなかったですか。
「子どもたちの健康を考えて始めたこと。1年半母乳を与えながら、私の体に染み込んでいる成分がそのまま子どもたちに伝わると考え、私自身、よく調べもせず何でも顔や体につけてはいけないんだなと思いました。防腐剤や化学成分、有害な界面活性剤を含まない化粧品をつくる方法を研究しました」
-昨年は韓国の伝統料理を探究した著書「イ・ヨンエの晩さん」を出版しましたね。
「ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』が世界99カ国・地域に輸出されたおかげで、世界中をめぐり海外のファンと会う機会に恵まれました。私の手を取り『あたなのおかげで韓国という国が好きになりました』と言ってくださったファンがたくさんいます。ありがたいことで感激しましたが、責任感で肩が重くなりました。海外のファンの前で私が自国の料理をよく知りもせず食べ、韓服(韓国の伝統衣装)をよく知らずに着ていたら大変だと思ったんです。それで、韓国の伝統料理について学び、自分でつくってみたりしました。そして、韓服デザイナーのハン・ウンヒ先生から、韓服について学びました」
-2006年に審査委員としてベルリン国際映画祭に出席したとき、韓服を着ていましたね。
「世界中の人たちが私を通じて『韓国女性』を見るのですから、伝統衣装を着ていくべきだと思いました。また、実際に着てみると、イブニングドレスを着るより反応もよかったです。それだけ韓服は繊細で豊かな美しさを持っているということです」
-中国の江沢民・元国家主席やミャンマーのアウン・サン・スー・チー氏が韓国を訪れたとき、晩さん会に出席しましたね。
「海外からいらっしゃる政治指導者から『会いたい』と言われることがあります。『宮廷女官チャングムの誓い』効果と言えるでしょう。大変な席ではないかと迷ったりしましたが、そのたびに夫が『出席して国威宣揚してきなさい』と言って勇気を与えてくれました。私にできることがあれば、やりたいと思います」
-昨年、ソウルで早産で生まれた台湾人の赤ちゃんのために医療費1億ウォン(約1000万円)を支払ったことが伝えられましたね。
「これも夫がいなかったら、実行には移さなかったでしょう。誰かを助けたいという気持ちはいつもあるのですが、実践する方法が分かりませんでした。私はいつも悩んでばかりで、早く決断することができませんが、夫は決めたことはすぐに実行するタイプです。いろいろ助けられました」
-ご主人とは恋愛期間が長かったと聞きました。いくら愛していても、憎らしいと思ったりケンカすることもあるのでは?
「私は血液型がAB型で、記憶力がよくなく、夫婦げんかをするとよく負けています。演技をするとき、どうやってセリフを覚えるのかと思うほどです(笑)。反対に、夫はA型で何でもよく覚えており、すねることも多いです。子どもの教育問題で意見がぶつかるときがあります。夫はとにかく子どもをかわいがり、テレビが見たいと言えば全部見せてあげようとしますが、私は少し厳しくしつけています。子どもたちを寝かせるとき、普段は私が絵本を読んであげますが、ときどき夫が読んでやると、子どもたちがとても喜びます。面白おかしく読み聞かせてあげるからです」
-お子さんたちが演技の道に進みたいと言ったらどうしますか。
「娘のスンビンは才能がありそうです。歌もうまいし、ダンスも上手だし、絵を描くのも好きです。おととし私が出演したドキュメンタリー番組に家族が出て、リビングルームに並んで座り、番組の宣伝をしました。でも、その場面を見て、スンビンが泣き出したんです。『私が登場するシーンが短すぎる』と言って(笑)。一方、息子のスングォンはテレビには見向きもせず、自分が好きなおもちゃの組み立てに夢中です。娘が演技に関心があれば手伝ってあげたいと思いますが、夫はどう考えるかは分かりません」
インタビューを終え、帰り支度をしていると、イ・ヨンエが「食事をしていって」と声を掛けてくれ、イ・ヨンエ宅の近所にある飲食店に行った。おかずにイシモチが出されると、イ・ヨンエは「わが家では私が魚係」と言って皿を取り、一つ一つ骨を取ってくれた。「子どもたちに食べさせるとき、小さな骨でもあったら大変ではないですか。だからこれだけは、夫やおばには任せず、自分でやります」。そう言って、イ・ヨンエは皆のご飯の上に魚の身をのせてくれた。その姿を見て、こう尋ねた。
-家でインタビューを受けるとおっしゃったので意外でした。人見知りだと思っていたので。
「そうです。以前は誰かが家に来るというと、驚いたりしました。『なんでうちに来るの?』と。記者の皆さんと食事をするなど、考えたこともありません。ですが、私も変わりました。最近、わが家の門はいつも開いています。週末には夫と手をつないで市場に出掛けたり、多くの人たちの中でホットク(お焼き)を食べることもあります。最近のわが家の家訓は『これ以上何を望むのか』です。ほかに何を望むでしょうか。今こうして幸せなのに。私も今は、この変化をのんびり楽しみたいと思います」
そう言って、イ・ヨンエは笑顔を浮かべた。いつの間にか、辺りは薄暗い夕方になっていた。