スターインタビュー
インタビュー:10年ぶり女優復帰したイ・ヨンエ(1)
「国民の恋人として生きるというのはどうですか」と質問すると、女優イ・ヨンエ(44)はこう答えた。「『ここ』ではそんなこと考えなくても大丈夫です。だから自然というのは本当に良いですね」
10年間女優を休業して復帰したイ・ヨンエ。2003年のドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』、05年の映画『親切なクムジャさん』以降は作品に出演していなかった。出産・育児のため毎日がどう過ぎていくのかも分からなかったという。そして先月初めから、来年上半期に放映される新ドラマ『師任堂、the Herstory』(SBS)の撮影に入った。これは全編が事前撮影されるドラマだ。スケジュールは再び百科事典のようにびっしり埋まった。インタビューの時間が取れないということで数日待ったが、イ・ヨンエは先日「うちにいらっしゃってください」と声を掛けてくれた。
京畿道楊平郡にあるイ・ヨンエの自宅は、ソウル中心部の光化門から車で2時間ほどの距離だ。華やかな都会の看板が一つ、また一つと消えていき、秋の花が咲き、魚が銀色のうろこを輝かせる川が見え始めた。風で稲や作物の葉が揺れる田畑を抜け、路地を曲がると、芝が敷かれた庭が見えた。父と母にそっくりの双子の兄妹が部屋着で歩き回り、ミカンを食べていた。庭の脇戸にはいがぐりが落ちていて、その先には初秋の森が広がる。イ・ヨンエが言った「ここ」はこの場所だった。「『ここ』で暮らすようになって、いろいろなことが変わりました」
■Bコースを走るイ・ヨンエ
-都会の人々があこがれるような自然の中にある、庭付きの広い一軒家ですね。
「豪邸と言われているようですが、実際に見たら全然違うでしょ?(笑) ただ子どもたちが遊び回れるようにしようと、庭が広い家を選びました。家の中もガラガラでした。机やテーブル以外の家具もほとんどありません。レタスやキュウリを育てて食べられる家庭菜園があり、サッカーのゴールがあるくらい。夫が木を植え、芝を敷きました」
-以前はソウル都心の漢南洞にある高級ヴィラ(低層集合住宅)に住んでいたと聞きました。
「はい。漢南洞は日が沈んで夜になっても街が明るくて人が多い所です。以前はその雰囲気やパワーが楽しく思えて好きでしたが、子どもを産んでからは変わりました。土も草もある場所に行かなければ、と思って楊平に来ました。ここは文字通りの田舎です。夕日が沈んだら真っ暗な闇のほかに何もありません。でも、その分だけ月も星もよく見えます」
イ・ヨンエは2009年に在米韓国人実業家チョン・ホヨン氏とハワイで結婚式を挙げ、11年初めに二卵性双生児の男の子スングォン君と女の子スンビンちゃんを出産した。そして12年から、子どもの教育のため京畿道揚平郡で暮らすようになった。子どもたちは今も母親が家にいないと寝付けない「ママっ子」だ。
-田舎暮らしをしようと家を建てたものの、子どもの塾や習い事のために結局またソウル・江南地区で暮らす芸能人もいるそうです。
「ここにいると、そういう話はあまり聞こえてきません。何せ情報に疎いので、むしろ気楽でいいですね。子どもたちは今、満4歳なので、地元の小学校に通わせるべきかどうかはちょっと悩んでいます。この辺の学校を見てみたら、近くの小学校で5・6年生がペットボトルでいかだを手作りして、川に浮かべたそうです。本当に楽しそうでした。今は幼稚園に通わせず、家庭教師を呼んで子どもたちを指導してもらっています。1カ月に1回くらい、近くの幼稚園に行くときもあります。小学校低学年までくらいはここで土に触れて遊ばせたいのですが、私の欲かもしれません」-家庭菜園教育もしているそうですね。
「そんな立派なものではなくて、一緒にレタスやキュウリやニンジンを植えて、収穫しているだけです。スングォンは最初、ニンジンを嫌がっていたんですが、自分が収穫したニンジンはちゃんと洗ってきれいに平らげます。子どもたちはカボチャの葉、トマト、テンジャングク(韓国みそ汁)が大好きです。自然が身近な存在なので、話す言葉も違います。初めて話した言葉が『ママ』『パパ』、次に話したのが『クモ』『テントウムシ』『クリ』でした」
-撮影現場が遠くないですか。
「遠いと言えば遠いですが、仕事と家庭が切り離せるのがいいです。ここに帰るころには全て忘れています。ただの田舎の人になるんです。ゴチャゴチャだった頭の中がスッキリします。ストレスも自ずとコントロールできるようになります。田舎暮らしというのはそうやって人を自由にするようです」
-10年ぶりの女優復帰です。『宮廷女官チャングムの誓い2』に出るのでは、といううわさもありました。
「『宮廷女官チャングムの誓い2』のオファーが来て悩んだのは事実です。あまりにも大規模なプロジェクトでしたから。『宮廷女官チャングムの誓い』は、歴史の記録にたった2行しか出ていない人物を新たに見いだす喜びがあった作品でした。具現化するのは難しいことを、ドラマの登場人物としてよみがえらせ、肉付けしていく楽しさがあったのです。そういう喜びをまた味わってみたかったですし。久しぶりに復帰するのですから、できれば昔の栄光にすがるより、最初からきちんと始めたかった。そんなとき『師任堂、the Herstory』の話が来たんです。申師任堂(シン・サイムダン、1504-51年、画家で良妻賢母の鑑とされる)と言えば陳腐な話だろうと思うでしょうが、そうではありません。500年前のキャリアウーマンの一代記と、今を生きる女性の話が重なるファンタジー・ドラマです。女性に関する物語ということでとても魅了されました」
-母親になったから、さらにそう感じるようですね。
「家族の話、子育ての話、教育の話はひとごとでない気がします。ドラマに出ることになって、いろいろ勉強しましたが、500年前にも私教育があったり、教育ママがいたりしたんですね。子育ての問題に悩みながら1人の女性が一歩一歩成長していく…。いくつもの世代を経ても解消されない悩みを直接演技にぶつけながら描いてみたいと思いました。申師任堂はあまりにも平坦な人生を歩んだ人物なので、ドラマチックな部分がないという指摘も聞きましたが、私が演技で乗り越えなければなりません。それは私の宿題であり、挑戦でもあります」
-出産を経て仕事を再開する気持ちはどうですか。
「心構えからして違います。以前は与えられた仕事は何が何でも一生懸命しようと思っていました。あれこれ言わずにまっすぐ走る短距離選手のような感じでしょうか。Aコース以外の道は分からないし、走り方も知りませんでした。ですが、子どもを産んでみると、初めてBコースが見えました。以前は自分さえ一生懸命やっていればいいと思っていましたが、今は撮影現場の空気を読み取るようになり、周囲の人々の健康や気持ちも考えるようになりました。おととい、この近くの駅で現代のヒロインが夫を捜し回るシーンを撮りましたが、現場がちょっと騒がしかったんです。後ろの方におじいさんたちが見物にいらっしゃって。それを聞いて、撮影監督に『私の父も同じくらいの年だし、この近くでよくウナギを食べたり、お酒を飲んだりしている』と言ったんですが、よく見てみたら本当にそこに私の父がいたんです! 父も私がいるとは知らずに見に来ていたそうです。以前なら撮影に夢中でこんなことがあっても気付かなかったと思います(笑)」
◆続きは「イ・ヨンエに聞く、第2弾」で…